アニメ映画 ブルージャイアント
ブルーチャイムなら色が変わってお知らせする洗剤だ
漫画はときどき読むが
アニメ映画は久しぶり
ずっと以前に見た「コトノハの庭」以来だと思う
ブルーノートと呼ばれるジャズやブルースで使われる一定の音階(スケール)を
自由なテンポと自由な組み合わせで行われるジャズの演奏
個々人の技巧が要求される
ブルージャイアントは小さな星が巨星となって輝くまでのストーリー
描かれるのは3人の若者
ひとりは天才サックス奏者
もうひとりは才能の塊ピアノ奏者
さらにもうひとりは伸びしろの塊新米ドラム
ほぼ天才奏者二人が遅れてきた努力家のドラムの成長を待ちつつお互いを高めていく
なんてことはプロ思考のユニットには
あるはずがないよね!
っていうのがけして主題ではない
それだけに焦点をあてると
とても臭い人間ドラマになってしまう
天才なのに素人の努力を認めるというのは美しい言葉ではあるけれど
とてもあり得ないくらいの出来事だし
実際それをしようとするととてつもなく人間関係を壊すまいとする努力と
成長の時間を待つ忍耐力が必要だからだ
軽音楽部にいた頃も
メンバーの出入りは何度も目にした
通常は人よりも少しギターができるやつとかがバンドを引っ張ってドラムやベースを引っ張っていく
というよりある程度形にできるリーダーが他のメンバーを無理矢理自分のやりたい楽曲パターンに当てはめて人を集めるのがクラブで行うバンドのデフォルトだ
あるいは、教室の片隅で弾いているやつに興味のある楽器のできるやつがあと乗りでセッションに参加
その後意気投合してバンド結成っていうのもよくあるパターン
少しできるやつもクラブ活動である限りは
足りない奏者をよそのグループバンドから人を引っ張ってくることは出来ないので現有勢力でなんとか形にしようとする
それでも足りないときは
よそのバンドからライブのときだけ借りることになる
サッカーでいうレンタル
高校野球でいう陸上部と野球部の大会期間限定掛け持ちというやつだ
高校やアマチュアの世界では
足らない楽器をたまたま友達が始めてから一緒にバンドごと成長していくっていうのはありえる
実際そういう例も見てきたし
高校入学時にはドラマーなんていうのはあんまりいない
ベース専門てやつも珍しい
大概ギターかキーボードができるやつが
器用に他の楽器も少し出来て
新しいメンバーに教えることから始めることが多かった
高校野球でちょうどピッチャーで四番の選手が他のプレイヤーを巻き込んでいく状態に近い
まして、デビューまで考えるようになると
いままでは良かったが
プロになるならサイドギターは変えようとか
キーボードやボーカルは変えようということが頻繁に起こる
そうなるとバンドのエゴとレコード会社のエゴが対立することもあり得る
または、デビューに向けて家業を継ぐので上京出来ないとか大学進学で無理とかいうこともありそのあたりはバンドによってまちまちになる
だか、この天才?2人は素人ドラマーの成長を信じた
こういうところが浪花節的世界観で
一般のひとも引き込まれていくところかもしれない
が、実際にはなかなかあり得ない
2時間アニメの性(さが)なのか
こういうところは丁寧に描く一方で
都合の良くそれぞれがすごいスピードで進化していくといくのは仕方ないか
ブルージャイアント原作を読んだ事がないのでほんとはもっとゆっくりとメンバーの葛藤や「やめてしまおうか」と言う気持ちを詳しく描いているのかもしれない
ラストの展開もドラマとしては大変面白い
のちのすがたを示すために語りの映像を入れてその後の展開を予想させるという手法も2時間アニメらしいスピード重視の展開なのだろう
本編ラストでは
この3人がどうなっていくのか述べられていない
話しに深みを持たせるアニメなのかそれともヒットした場合の続編制作への色気なのか
ただ、言えることは演奏自体もジャズの入門として優れたものだったし三人アンサンブルというめのがとても理解しやすい
そしてもっとも優れているのは演奏シーンのアニメがきちんとモーションキャプチャー部分を除き護摩化されることなく描かれている事だろう
良い画像とよい演奏が一体化しているのがこの映画のもっとも優れている点だと感じた
また、外国人アニメーターを殆ど使わずに純国産作画である点も出色であると思う
漫画のアニメ化には良くあることだが
えてして漫画の方が何倍もよかった
映画はクソだという評価になりやすい
実際そんな評価も多いようだが
つくづく漫画を先に読まずに映画を見て良かったと思う
個人的には音楽映画としてサウンドオブミュージック、アマデウスに続く名作となった
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