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誤字脱字の多さとサラリーマンの評価は相関するのか

私はサラリーマンをやっているが、新人時代から頻繁に誤字脱字を上司から指摘されてきた。そしてお恥ずかしながら、誤字脱字というわけではないが、今でもたまに「会社の文書マニュアル」通りの記載をせずに日本語の間違いを犯してしまうことがある。例えば、マニュアルでは「又は」とすべきところを「または」としてしまったり、一方で「かかる」と記載すべきところを「掛かる」と漢字表記してしまう、といった点である。

誤字脱字を始め、日本語の記載の誤りはサラリーマンとしては致命的である。この点、かなり過去の記事になるが、経営共創基盤の塩野誠さんが以下の記事で詳しく述べている。

(…)まずご質問者の方ですが、プロフェッショナルファームの人間として、私だったら落とします。
なぜでしょうか? そうです、「起業」と書くべきところを「企業」と書いていますね。ほかにも「てにをは」が間違っています。こういう誤字脱字のようなケアレスミスをする人は、プロフェッショナルとしてコンサルティングファームには向いていません。
たとえばこんな誤字のあるレポートや契約書をクライアントの経営者が見た際に、コンサルタントを信用できるでしょうか? または、こうしたミスをするアソシエイト(プロ・ファームの新人)をお客さんの前に会社は出せるでしょうか? 
もしかしたら質問者の方は、誤字脱字はあるけれども、天才的なアイデアの持ち主であり、将来のスーパーコンサルタントかもしれません。しかしながら、誤字脱字で信用をなくし、クライアントに天才的なアイデアをプレゼンする前に門前払いされてしまうかもしれません。くだらないと思うかもしれませんが、これが「シグナリング」というものです。

https://toyokeizai.net/articles/-/14431?page=2

日本語もうまく書けずに落ち込んでいた中、お取引先の社長で、誤字脱字の激しい人がいたことを、冒頭のXの引用を見て思い出した。

その方は誤字脱字というレベルではなく、日本語自体がよくわからないメールを書いていた。まるで、頭の中の思考に書くスピードが追いついていないかのようだった

ところで、冒頭の「誤字のある人ならば、大したことはない」の文章の論理構造について少し考えたい。
逆は「大したことがなければ、誤字のある人である」
裏は「誤字のない人ならば、大した人である」
対偶は「大した人であれば、誤字がない人である
である。 こうしてみてみると、確かに逆は言えなそうだし、裏も言えなそうだ。そして対偶も「誤字の有無」だけを持って人を判断するには評価指標が狭すぎることから、確かに言えなそうだ。

また、「サラリーマンで評価されているほど、誤字脱字をしない人が多い」の文章の論理構造を見てみたい。

逆は「誤字脱字をしなければ、サラリーマンで評価されている人である」
裏は「サラリーマンで評価されていないならば、誤字脱字をする人である」対偶は「誤字脱字のある人ほど、サラリーマンで評価されていない」
である。

これは感覚値としては言えそうな気がするので、いつか誤字と評価の関係を定量的にとってくれる人が出てくることを期待したい。


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