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年をとるにつれて変わった「ポジショントーク」に対する考え方

「ポジショントーク」とはとかく批判されがちな意味合いで用いられることが多い言葉である。

今自分が置かれている立場(ポジション)や状況に応じて、自分に有利なこと・自分に都合の良いこと・自分を正当化するような言動に対して、向けられがちな言葉である。

私自身も昔はこの「ポジショントーク」というものを少し軽んじて見ていた時代がある。ポジショントークとは、それを発した人自身の自身の内から出た言葉には聞こえず、自分自身が置かれた環境や立場上、仕方なく言っているように見えたからである。

例えば、2期連続赤字の記者会見の場で「自分の会社は素晴らしい。これからも将来有望だ」を発言する社長を見たり、「今後有望なスタートアップはどこか?」とインタビューされたベンチャーキャピタリストが自分自身の投資先を挙げる等も、ポジショントークの一例と言えるだろう。

だが、ある程度年を経るにつれた今、
ポジショントークすら言えない人間は実は何も守るべきものがない小さな人間なのではないか」
②むしろ自分の行動と発言を一致させ、一貫性を持たせるという意味ではポジショントークを行う人間の方が立派なのではないか」
という考えが自分の中に芽生えてきている。

上記①について、そもそもなぜ人はポジショントークを行うのか。「自分の都合の良いように物事を進めたいため」というのが短絡的な理由であろう。では、なぜそうした自分の都合の良い発言をする必要があるのか。

少し青臭い話になるが、それは「自分自身のため」のみならず「守るべきものがあるから」ではないだろうか。

会社である程度の役職につくものや経営者等、一定の責任を負う人々は、概して自分自身のみならず従業員を抱え養う立場にある。自分の置かれた環境や立場に対して有利な言動を行うことは、こうした周囲の人々も守ることにつながる。したがってポジショントークを行うこともあるのである。

上記②についてだが、仮に自分の会社の社長が、記者会見では「我が社は素晴らしい会社です」といいつつ裏では「いやあ、まあ個人的な意見としては、将来お先真っ暗なんだよね」といった個人的見解をのたまっていたとしたら大問題である。発言の重みが薄れ、言動が一致せず周囲の人々からの一気に信頼・信用は失墜する。

むしろ、ポジショントークすらできない人はいつまで経っても自分中心の世界に生き続けている幼い人々なのではないかとも思えてくる。

ポジショントークとは、自分自身が今置かれている立場を無理やり正当化するための発言ではなく、むしろ自分自身の周りの人々を助けるための発言である。と考えれば、日々周囲で発せられているポジショントークに対しても、素直に目を向けられるようになるのではないか。




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