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子どもにとって、ネット・ゲームは悪か

先日、香川県で子どものネット・ゲームの依存症対策として条例素案が出されて話題になっていた。これについては、保護者の教育権の侵害という声もある。他人に口を出されて解決するほど単純な問題ではないということだろう。

果たして、ゲームの時間を制限することは、子ども達にとって有益な事なのか。プログラミング学習の必修化など、国との折り合いをどう付けるのか。

壮大な問題はさておき、現役小学生の親としての現場の意見をメモしておきたい。

使用時間の管理

条例素案の中では保護者によるルール作りと書かれているようだけど、実際の現場では誰がどのようにそのルールを施行するのか。

国だって法律があれば、全国民が理解しルールを守ってくれたらいいのだけど、そんなことはあり得ない。
地方行政があるし、警察や司法機関もある。ゲームの時間においては、だれがその役を担うのか。

全体の文脈からは「親と学校がガンバレ」ということはなんとなく伝わってくる。しかし、放課後、親も学校も目が届かないところで、子ども達の善意と達成意識だけで守れるくらいなら、そもそも社会問題になっていない。

すでに依存傾向が進んでいる子については、アル中の前に酒瓶を並べて根比べさせるようなものである。

早い話、県が条例を出したところで、守れる人なんてほとんどいないだろうということ。

オンラインゲーム以外のネット利用

ネットの情報というのは、現代人に膨大な知識を与え、僕らは豊かになった。あらゆるものがインターネットに繋がり、スマホ一台で生活のほとんどが完結してしまうような錯覚も覚えるほどだ。

僕はテクノロジーに肯定的で、未来は楽しみでしかない。そういう意味では、子ども達にもどんどんネットを使いこなせるようになって欲しいと考えている。

パソコンやスマホを一切触らせない、または極端な制限というのは、現代のネット事情を考えると大変なチャンスを奪っているように思う。

現にこうやって思いつきでnoteを綴るようになったが、ありがたいことに何のつながりもない世界中の人が読んでくれる。僕の仕事だって、8割ネットの恩恵で成立っている状況なのに、そういったネットの世界をゲームと一緒くたに制限するのはあまりに雑すぎる。

学力、健康への影響

ゲームのやり過ぎは、まちがなく学力や健康に悪影響がある。

ただ、毎日出される小学校の宿題をやるくらいならオンラインゲームをやっている方がよほど賢くなるということは本気で思っている。それくらい学校の宿題は単なる「作業」にしか見えないし、最近のゲームは「ハメ技」で勝てるほど単純ではなく、本当によく出来ている。

視力の低下については、外で遊ぶことが有効だということは僕らが子どもの頃から言われていたけど、最近は医学的根拠も裏付けされて推奨されている。

とはいえ、ゲームの時間を強制的に減らせば、子ども達はたくさん勉強して昔のように外で遊んでくれるのだろうか。もし、その程度の想像力で作られた条例であれば、子ども達の実態調査と遊べる環境の調査からやり直すべきである。

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奪われ続ける子ども達の遊び場

昭和の頃には子ども達の声が聞こえた公園や空き地、野山で遊べなくなって、子ども達の遊び場が奪われたという話は、平成の30年間よく耳にしてきた。

ところで、最近の小学生がどうやって遊んでいるかご存じだろうか。

学校でオンラインゲームのIDを交換し、何時にログインするという約束をして帰ってくる。そして、ヘッドセットをして音声通話しながら、クラスメイトも英語や韓国語をしゃべる子もチームを組んでゲームを楽しんでいる。

高学年や中学生ともなれば、すでにどっぷり依存生活に入ってしまっている子もいて、とくに約束がなくても、どの時間帯でもログインすれば誰かしらの知り合いがいるという状況だ。

中高生になるとSNSによるトラブルも多いと思うが、小学生でもゲームの中でSNS構造はすでに出来ている

そういう世界を理解せずに端的に取り上げてしまうのは、子どもにとっての社交場をむやみに奪ってしまうことになる。ゲームを与えてもらえない子は、生活の中で友人とコミュニケーションをとる量が少ない。

ちょっと思いつくだけでも、ネット・ゲームを時間の制限で管理するというのは現場レベルでも問題多い。

老害とテクノロジー

以前、ある教育委員会のネットリテラシーに関する講演会で、冒頭に教育長が挨拶をした。本編の講師が話しずらくなってしまうほど、教育長はアンチネット派で、とにかく子ども達からスマホやゲームを遠ざけるべきだという主張しかしない。

あまりに時代錯誤で幻滅してしまった。幕末の攘夷派を彷彿させた。インターネットという得体の知れない脅威が、スマホという黒船に乗ってやってきたという感覚だ。「迎え撃て~!鎖国じゃ~!」と叫んでいるように聞こえる。

新しいテクノロジーというのは、いつも不安だ。40代の僕でさえ、新しいワクチンが出たとか、倫理的に問題がありそうな最先端のバイオテクノロジーの話題を聞くと、世の中どうなってしまうのか不安になってしまう。だから、「今時の子は・・」と言いたくなる気持ちが、まったくわからないわけでもない。

ネット・ゲーム依存においては、現状すでに甚大な影響が出ている子もいるし、予備軍を含めると相当なものだろう。それにまつわる犯罪も増える一方だ。社会問題と捉えるレベルであるのは当然のことだが、子ども達からスマホ取り上げたら解決するという主張は、時代錯誤と言わざるを得ない。

ネット・ゲームの時間、最大の問題点

子どものゲームを単純に時間で管理はできないということを色々書いたが、香川県の条例のように時間で管理するという考え方に全面反対という意味ではない。

ゲームは本当に面白いと思うし、文化だし、子ども達を育てる要素もたくさん持っている。

ただし、一番問題点は、ゲーム以外にもたくさんあるはずの大切な時間を全て奪ってしまう可能性があることだ。1時間ゲームをやるということは、限りある寿命を1時間ゲームに費やしたということだ。

ゲームだけに毎日5時間寿命を縮めるのはやはり良いことと思えないし、トータルで健やかに育つには、ゲームより楽しいことの見つけ方を体得するより他ないと思う。

各家庭でできる事については、またの機会に書いてみたい。


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