自己啓発は、学びか?宗教か?
自己啓発書って、僕は基本的に好きなんですよね。
本だけでなく自己啓発系のセミナーやYouTubeチャンネルも多数ありますね。これらも、好きか嫌いかという質問なら好きです。
自己啓発はあやしいのか
でも、「自己啓発」=あやしい、宗教染みている、と感じている人も少なからずいることも、知っています。
自分を啓発してくれる言葉ってとても聞き心地がいいのです。
そして、そういう発信をしている人は、特定のファンに評価されやすい。
だから、そういう関係が相まって、自己啓発セミナーの人気講師を取り巻くファンが、教祖と信者の宗教活動的に見えてしまうことがあります。
でも、それが悪いとは全く思わないのです。
人の心を駆り立てて、生きる希望を持たせ、その言葉を自分の宗として生きていけるなら、開き直って良い意味で宗教とも言えそうです。
ただ、ちょっと注意は必要です。
自己啓発系の情報発信は強い
情報発信にも様々な種類がありますが、テクニカルな内容をまとめた情報って、ニーズがマッチしないと存在意義すらないんですよ。
例えば、コッテリ系ラーメンが好きで検索している人が、あっさり系のオススメを見つけてしまってもその人にとっては不要な情報です。
ところが、自己啓発的な言葉っていうのは、自分で探していなくても潜在意識に引っかかってしまうことがあります。
ちょっとした心の持ちようで、「もっと成長したい!」と感じることはとても気持ちの良いことです。専門知識はなにもありませんが、そういう時って、きっと脳内麻薬みたいなものがたくさん出るんでしょうね。
一度覚えると、また味わいたくなってしまうんです。
しかもそれは、自分を破壊する欲望ではありません。
強く思えば思う程、自分が成長し、心の憂鬱や不安が取り除かれ、仕事や勉強がうまくいき、人間関係が良くなっていくのです。
一般的には大いに歓迎されることですね。
ビジネス系の発信をしたい
というわけで、自己啓発系の発信者に成りたい人もいるでしょう。
それは、それで結構な事だと思います。
しかし、僕個人がどうなりたいかというビジョンを考えるとちょっと違うのです。
どちらかというと、ビジネス系の発信をできる人に今後は成りたいと考えています。
自己啓発の言葉は、有り難くなるほど抽象度が上がっていくんですよね。
仏教経典や聖書の言葉というのはその究極で、だからこそ世界の人を数千年にわたって魅了してきました。
それに対してビジネス系の発信というのは、話を具体化していきます。
この差がなにを意味するかというと、自分が誰かの力になれるとするならば、できるだけ現場に近いところで活躍できるという感覚です。
自分が成し遂げたことが見えやすい現場での活躍というのが、自分のイメージしている未来です。
だから今後、努力すれば優秀なエンジニアのようにはなれても、ビルゲイルや、スティーブ・ジョブズみたいな存在にはならない方向に、自ら向かっているということもよく分かっています。
自己啓発は学びか?宗教か?
僕には僧侶の知り合いも多いので、もし、この文章を読まれたら、そんなものと宗教を一緒にしてもらったら困るという批判はあると思います。
もちろん、よく名前を聞く人気セミナー講師が本来の意味での「宗教」とはいいません。
宗教とは、時代や好みで変わるようじゃ困りますからね。もっと普遍的な真理であるはずです。
おわかりかと思いますが、妄信的になってしまう自己啓発ファンを皮肉っているだけです。
彼らにとっては、教祖様の言葉に聞こえている可能性はありますね。それはちょっと危険でしょうといいたいわけです。
自己啓発の言葉そのものが学びというよりは、自分がより豊な未来にむかっていくためのエネルギーにはなると思います。
昔は、『思考は現実化する』とか『7つの習慣』とか、伝説的なその手の本がありますが、古典だと思って一度目を通すのは良いことだと思いますよ。
むしろ、今さらナポレオンヒルを大真面目批判するなんていうのは、実に生産性がないと思います。
現代版の自己啓発本はその時代のオマージュや引用、(中には劣化コピーも・・)ということが多いので、下地があると頭に入り方が違ってきます。
そうやって、未来に向けて学び、生き方を考えることで、前向きに生きていけますね。
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