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お金のインパクト

「あぐいの美塾」では著名なゲストを阿久比町にお呼びすることから「謝礼」をどれくらいにするか考えた時期がありました。

僕も年間に多くはありませんが地方などに講演依頼で呼んで頂くことがあり、その体験からも今回の美塾の「謝礼金額」を決めました。

言葉や金額に表せない感謝の気持ち。お金じゃないことでそれを表し、しかし、それだけでは現実的ではないのでお金(謝礼)をお支払いする。来てもらう、一泊してもらうとなると、その人の時間を拘束というか、こちらに預けて頂く訳で、通常その方がやっていることの手を、思考を止めてこちらの求めることに時間ごと加わってもらう。そこにはとてつもない価値があり、負担もあります。

僕がそんなことに対する「謝礼」の額を決めるとき考えることは「現実的ではなく、少しインパクトのある額」にしています。

その「金額を聞いた時のインパクト」が聞いた瞬間、全てを物語ってしまうからです。先ほどの「現実的ではなく、少しインパクトのある額」というのをもう少し他の表現をすると「ちょっと無理をして調達するくらいの額」です。つまり「普通に払える額」ではないという感覚じゃないと「おっ」とならない。

もちろん「謝礼や金額など関係ない」という人もいますが、それはその依頼者との時間をかけて出来上がった「関係性」があるからであって、その関係性が浅いとなると、ある程度、そのゲストとして呼びたい人との将来の関係性に投資する感覚が必要だと思うのです。そして、先ほども書きましたが、金額の提示は、すべてを瞬間に決めてしまうところがあり、やろうとしていることへの依頼者側の「覚悟」を言うような意味もかなりあると思うのです。なぜなら「その金額では難しいから、この金額で」なんて恥ずかしいことは言いたくもないし、言わせたら絶対にダメでしょう。

プロデュースをいろいろやっていった経験で書いていますが、やはり「インパクト」は「覚悟」であり「センス」であるとも思うのです。

僕は「提示された額」をこちらで再提示するくらいなら、断るか、一円ももらわない代わりの何かを考えるようにしています。著名な人になればなるほど、お金にはシビアになり、そして、それを直接言わなくなります。すべては依頼側の察するセンスと言うか、やはり「覚悟」なのです。

提示して「やりましょう」となったら、ある意味変な言い方になりますが「お金じゃなくなる」のです。「そう言う覚悟なら、お金はいらないです」と、時代を作ってきた偉人ほど、そういう思考があると僕は経験から感じます。

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