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ギョーム・ブラック監督『リンダとイリナ』にしか伴わない感情と大いなる疑問について

仕事以外の時間はすべて一歳育児から放射状にひろがる家庭生活に注ぐ毎日、もはや仕事以外では映画館へ行くこともままならない身だが、そんな折ひさびさに降ってきたしばしの自由時間、私は迷うことなくユーロスペースへと向かった。そう、世界にはまだ、ロードショーを逃すと次いつ見られるのかわからない映画というものがある。

世の中の父親の平均的行動からすれば、ほとんど変態と思しき行為かもしれない。何を好きこのんで、ようやく手に入れた束の間の休み時間に、海外の無名役者 (でさえないかもしれない無名人) 演じるティーンエイジャーが、進学前の夏季休暇を悶々と過ごすだけの映像を観に行かなくてはならないのか。しかも金を払って、連れもなく、あろうことか渋谷のホテル街に。これほど慎ましく、非生産的な行為があっていいのだろうか。

しかし同時に、まぎれもなくこの世には、「日曜の夜、ギョーム・ブラック監督による新作短編を観るためだけに円山町へ足を運ぶ」という行為にしか伴わない感情、想起されない時間、要請されない動機、省みられることのない存在、それらが「まだ」残っているような気がしてならない。そんな思いを新たに、なつかしささえ感じるユーロの座席に身を埋める。

やがて、スクリーンの幕が開いた。控えめなユーロの第一スクリーンの中に、さらにつつましやかに佇むスタンダードの明かり。予想どおりだ。そしてさらにおおかたの予想どおり、フランスのとある地方の町の、どこにでもいるようなティーンエイジャー、リンダとイリナ、友人たちの、どこへ向かうとも知れない密やかなお喋りが、一面ブルーの画面上につづく。思春期を抜け出すころの、ふわふわとした気まずさが、映画館の席と席のあいだを走って場内に充満していく。

映画と私たちの関係がいつしかそうであるように、リンダとイリナの関係も永遠でない。いつか会わなくなることがわかっているのに、どうして心をひらく必要があるのか。なぜ傷つく必要があるのか。2人で映ったtiktok動画がネットの大海を漂流していくこの時代にも、その宿命的メランコリーはなんら変わらず存在する。むしろ、あらゆるコミュニケーションが限りなくフラットに、インスタントになった今こそ、私たちの関係の寿命はことさらに短い。デジタルの世界で非連続的な接続が永遠に許されるからこそ、彼女たちのプラトニックな繋がりは常に挑戦され、脅かされ、死の危険に瀕している。この先、これまでと同じようにつづく人生の無常と空しさばかりが頭を駆けめぐる。どんどん身体が重たくなっていく。最初から出会わなければよかったなどと軽口をたたいてみる。どうやら相手は傷ついたらしい。

嗚呼、いったい自分は何を見ているのか。

こうして私は映画を観ている間じゅう、いま自分が見ているものの不可思議さだけに思いを張りめぐらせ、なんとも都合よく、それ以前の一切の自分を忘れてしまった。

やがて、何をみたというのでもなく、かつての少女たちがビーチと一体になって戯れる風景の残像をぼんやりと追っているうちに、館内が明るくなっていく。場内には、息にならない溜息とささやき声が漏れる。

これはどうしようもなく映画で、カメラ以前に書き留められた物語である。つまり、フィクションでしかない。それは、体験の抜けた過去、無理やり掘り返された思い出、でっちあげの友情、そんなものに似ている。
なのに、まがいなりにも役者であるはずの彼女たちは、カメラという無感情の光学機械の前で、いとも容易くキャラクターと生身の人間の間を行ったり来たりした。当たり前のように少し笑ったり、退屈そうにしたり、強がってみせたりした。それは私が見たことのない距離で起こったがゆえに、否応なく真実だと思わせるしなやかさがあった。
非映画的な、早鐘のような相槌の声さえもが、ビートを刻むように空間に響いている。本当らしさを演出してみせようという姿勢など少しも見せることなく、カメラは堂々と、これ以上ない画角で彼女たちの繊細な表情や仕草を焼きつける。あまりにも真っ直ぐすぎる。これを撮った人間は、生まれたままの赤ん坊のような純心を持っているに違いない。もしも、映画の圧倒的な透明さ、というものがあるとすれば、これだ。間違いない、これこそ清らかな水のような映画だ。

その向こう側でも、以前でもない。この映画を観なければ永遠に見られることのなかった何かがここにあり、気づいたときにはすでに過ぎ去ってしまっていた。2度と出会うことがなく、1度も出会っていない誰かとの邂逅がたしかにあった。おぼろげだけどそんなものを見た、というたしかな感触だけが私の身体に刻まれた。
どうやってこんな映画が撮られたのか、という大きな、けれど、ささやかな疑問を残して。


末筆ながら、ギョーム・ブラック監督作品を観る機会を日本の観客に与えつづけてくださる配給のエタンチェさんに、深く御礼申し上げます。

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