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父のしごと

道東の知り合いに創ってもらった、ヒンメリ。

その両サイドに、岩手の父(元・大工さん)が創ったぐるぐるした木工細工が仲間入りした。

ぐるぐるの下に、手持ちの大振りのピアスを吊り下げたら、キラッと光ってより美しい。


夜、仕事を終えて、夕飯もお風呂も済ませて、部屋の灯りを落として見てると、なんだかやけにホッとする。



父は大工の仕事を引退する数年前から、離れて暮らす私に電話でこんな不安を語っていた。

「大工を辞めだら、おらぁ一体何せばええんだがなぁ?おらぁ酒もタバコもやらねぇし、何の趣味もねぇのさよ〜」

ずっと関東に出稼ぎして暮らしても、一切直そうとしなかったバリバリの東北弁で、「困ったもんなぁ、何せばいいもんだがなぁ…」と。



私はよく、周りの人たちに、「そんなことまでよく話してくれて…」とか、「そんな赤裸々なことを!」と言われる。

でもよく考えたら、娘にそんな中高年の危機?アイデンティティクライシス?的な、一見弱音じみたことを電話で正直に話してくれるなんて、父もだいぶ赤裸々だ。・・・血かな?いや、親子して単純で、取り繕えないし、うまく立ち回れないせいだな。



父はその後、高齢者介護施設に再就職した。

その再就職の際も、大工の仕事を引退する少し前から、「おらぁまだ若いし、今からでも働きたいども、全くあてがなくてよ〜」と、気持ちいいほど正直な自己開示を出かける先々でし続けた。

結果、今務める施設で職員募集していることを教えてもらい面接⇒採用となったそう。

それを聞いて、素直さと正直さって、ほんとうに強力な武器だとおもった。

反対に、変なプライドとか恥なんて意識をもって口をつぐんでしまったら。

父は新しい仕事を手にしていなかったと思う。

だからそういう自分を邪魔立てするものはできるだけもたずに生きた方が、欲しいものが手に入るし、結果自分が満たされるんだなとおもった。


話を木工細工に戻す。

父は再就職後、施設に入所するおばあちゃんたちにリクエストいただいて、ドールハウスをつくってあげてる。

お人形用とはいえ結構な大きさで、二階建てで窓とか螺旋階段とか、凝ったつくりの可愛いおうちだ。実家に帰省したら、「これはよ〜」と延々自慢された。でもほんと、「人形のおうち」「ミニチュアだけど夢いっぱい詰まったおうち」を形にしていて、「父さんすごいねぇ…!いいねぇ!!」と、私も正直におもったことを伝えた。


施設のおばあちゃんたち、完成したドールハウスをプレゼントするととても喜んでくれるんだそう。「もしかしたら子どものころ欲しかったのかもねぇ」「ささやかな夢を叶えてあげるお手伝いができてよかったよね」、なんて父と話した。父は笑って、「ふふ、んだなぁ」と、やっぱり東北弁で答えた。


そういえば私が子どものころ、シルバニアファミリーのドールハウスは、やっぱり父が木工でつくってくれたもので、中にお人形やベッドやキッチンを入れて並べて模様替えなんかもして、毎日のように遊んでいた。そしてさすが本職、人形の家であってもとても頑丈だった…!


先日、実家に電話したら母が、「仕事が休みの日は、父さん朝早くから離れの小屋に籠もって、ウキウキワクワクしながら忙しそうにアレコレつくってるのよ〜」と教えてくれた。そう話す、母もうれしそうだった。



仕事は人の役に立ち、人を喜ばせるもの。
もっと言えば、その過程や成果や反応や、そこで生まれる人とのつながりで、自分自身も満たせるものだと、よりいいな。

木工細工と一緒に送ってくれた木のおもちゃで遊びながら、息子たちとそんな話をした。



そんなの甘いのかも知れない。

でも私は今、ほんとうにそうおもうので、書いておく。