朱き空のORDINARY WAR(10/32)
第10話「ヴァルハラという艦」
ユアンが第747独立特務旅団……通称、エインヘリアル旅団へと来てから、既に一週間が経っていた。ラステルとの模擬戦を経て、正式にユアンは旅団所属の戦闘機パイロットとして登録された。
ユアンの身分は公的には、協約軍の脱走兵である。
だが、不思議と懲罰や軍法会議はなかった。
この特務艦ヴァルハラは、協約軍にも協商軍にも与せぬ独自の戦力……闇の武器商人、秘密結社フェンリルを極秘裏に叩いて潰す、いわば『《《正義の味方》》』なのだ。軍規は適度にゆるく、通常の軍隊とは雰囲気が大きく異る。
その空気の中で、ユアンは通常の軍隊とは大きく異る任務に邁進中だった。
「くっ、どうして俺がこんな……俺はパイロットじゃないのか? そもそも、なんだこの内装は。軍艦だぞ、ここは」
ユアンは今、はしごの上で天井へと手を伸ばしていた。
波間を走る艦の揺れで、豪奢な照明が金の鎖にリズムを刻んでいる。周囲の壁は大理石のような温かい白一色で、等間隔に並ぶ扉はオーク材でできた荘厳なものだ。
まるで一流ホテルのような艦内には、理由がある。
ユアンが切れた電球を交換している、この場所は……主に女性の士官室へとあてがわれていた。場所は左舷部前方、航空甲板の下である。
双胴型の巨大航空戦艦であるヴァルハラは、その半身は元は客船だったのだ。
「ええい、中途半端な改装をしている! この区画も潰せば、もっと格納庫が広くなるし、艦載機用のエレベーターだって増やせた筈だ。クソッ!」
悪態を呟きながら、ユアンは取り外した電球を口に咥える。
そして、腰のベルトに挟めた代えの電球を捩じ込んだ。
この数日、ずっとこうした雑務に追われている。
ヴァルハラでは男手は数えるほどしかいないため、自然とこうした仕事は溜まりがちだという。それを艦長のムツミは、全部ユアンに丸投げしたのだ。
どうにか電球を交換し、はしごに座って一息つく。
ユアンが今いる左舷側は、それ自体が巨大な航空母艦である。だが、元は金持ちが好むような豪華客船で、長引く五十年戦争で徴用された後、空母へと改装されたのだ。だが、それが中途半端なままで終戦が見え始め、配備計画は頓挫した。そのため、艦の艦尾側が格納庫で、二基のエレベーターを介して航空甲板へと繋がっている。
一方で、艦首側はまだ航空甲板の下に客船時代の優雅な内装を残していた。
「……五十年戦争が生み出した負の遺産、か。さて、次の仕事はなんだ? ……ええい、これだから機械は嫌なんだ」
一息ついたのも束の間、次の仕事にとりかかるべくユアンは携帯端末を取り出す。
光学表示機能で立体映像を並べる端末は、思うようには動いてくれない。欲しい情報を引き出せないばかりか、その情報を得る手段すら教えてくれないのだ。
ユアンは戦闘機のパイロットで、戦闘機とは精密機械の塊である。
だが、戦闘機はユアンにとって翼、自分の肉体の一部にも等しい。
戦闘機は常に、最も柔らかな金属であり、靭やかで神経が行き届いた電子と機械の融合体だ。ミリ単位で自分の操作に答えるラダーや、繊細な挙動で動くスポイラーなど、全てユアンの意思に直結しているのである。
自分の延長線上にある、自己を拡張した形……それが戦闘機だ。
だが、目の前の携帯端末はそうではない。
ユアンは昔から、《《機械が死ぬほど苦手だった》》。
戦闘機なら自在に操り、多少なりとも整備ができる男でもだ。
「ええと、ここか? これを……よしよし、表示されたぞ。残り49件か……もう、すぐ取り掛かれる左舷の作業はないな? 次は……右舷側に行くか」
携帯端末が中空に浮かべる、光の文字列。それを指でなぞりながら、はしごの上でユアンは脚を組み替えた。
不思議とこんな時、あの女のことが思い出される。
嫌でも思い出してしまう。
エルベリーデ・ドゥリンダナ……協約軍最強のエース、"白亜の復讐姫"。ユアンにとって彼女は、隊長で相棒で愛弟子で、妹のような恋人で……そして全てだった。裏切られて尚、その過去はあまりに眩し過ぎる思い出だ。
こうして緊張感のない場所にいると、自然と勝手に記憶が浮かび上がってくる。
既に吹っ切れているとは言え、まだ胸の奥に鈍い痛みは確かだった。
そして、その気持にセンチメンタリズムを引きずることを、ユアンは自分に許さない。
許される筈がない。
無残に死んでいった仲間たちのために、復讐を遂げる。
そうしなければ、自分さえも許せなくなってしまう気がした。
「さて、じゃあ右舷側に……あっちもあっちで、相当に奇妙な構造だが」
電球を口に咥えたまま、ユアンは表示される内容を目で追う。
特務艦ヴァルハラの右舷側、右半分は砲艦になっている。
巡洋艦程の大きさで、左右非対称ながら左舷と右舷の大きさはほぼ同じだ。そして、右舷側はこれぞ軍艦と言わんばかりに構造物が密集している。何度か立ち入ったことがあったが、ここよりもオイルの臭いに満ちた狭苦しい圧迫感があった。
ずらり並んだ回転砲塔には、主砲が等間隔で生えている。中央部のイージスシステムを挟んで、艦尾側にはミサイルの垂直発射型セルが広がっていた。他にもなにか、怪しげな機材がそこかしこにあって、まるで雑多な尖塔が立ち並ぶ魔王の宮殿だ。
「ふむ、じゃあこの……対空レーザー発射口のレンズ磨きからいくか。……なに? 対空レーザーの発射口!? な、なんだそれは!? こっちは……超電磁弾頭射出砲!?」
これではまるで、SFか家架空戦記物だ。
しかも、インチキまみれの三文小説である。
驚きにユアンが呆気にとられると、表示されている内容が勝手に自動更新されてゆく。スクロールしてゆく文字は、ぼんやり輝きながらどんどん増えていった。
「なにっ、処理案件が増えただと!? クッ、これでは終わらないっ! どうなって、あっ!? し、しまっ――」
思わず携帯端末に怒鳴ってしまったユアンは、はたと気付く。
今しがた取り替えたばかりの電球が、口から零れ落ちた。
それはまっすぐ、重力に引かれて自由落下。
床にはカーペットが敷き詰められているとは言え、この高さでは割れてしまう。散らばるガラス片を掃除するのも、勿論ユアンだ。
思わず手を伸ばそうとして、グラリと揺れたはしごの上でバランスを取る。
無情にも木っ端微塵かと思われた電球は……小さな手に受け止められた。
そして、自分を見上げる蒼髪の少女が微笑む。
「ど、どうも、ムツミ艦長……た、助かりました」
「はいっ! ユアンさんもお疲れ様です!」
そこには、ムツミが立っていた。
彼女の手に、無事に電球は収まっている。
ホッとしたユアンは、次の瞬間には表情を引き締めた。それは、ムツミの笑顔が緊張感を帯びたから。彼女は凛々しい顔でユアンを見上げて、よく通る声で話し出す。
こうして見ると、まだまだ遊びたいざかりのティーンエイジャーにしか見えない。
同時に、端正な表情は才気に満ちて、大佐にして艦長という地位に恥じぬ能力を見せつけてくるのだ。
「ユアンさん。先日の空戦時の、エルベリーデ大尉の行方ですが」
「なにかわかったのか!?」
「はい。予想通り、彼女は秘密結社フェンリルの《《潜水空母》》に着艦、姿をくらましました」
「せっ、潜水空母だって? そんなものは大戦中にはなにも」
「秘密結社フェンリルの科学技術は、協約軍や協商軍の十年先を行ってます。そして、豊かな資金力で超兵器を開発し、再び世界大戦を起こそうとしてるんです! だから!」
何故か、ガシリ! とムツミははしごを掴んだ。
そして、細い足でよじ登ってくる。
「な、なあ、ちょっと……なんで昇ってくる!」
「ユアンさんのお陰で、先日わたしは命拾いしました。わたしがヴァルハラに着任する情報が、フェンリルに漏れていたんです。やはり、既に協約軍や協商軍の内部にも、フェンリルの魔の手は伸びていると考えていいでしょう」
「あ、ああ。わかった、わかったから」
だが、ムツミはとうとうユアンの目の前まで上がってきてしまった。そして、可憐ながらも生真面目に引き締まった顔を近付けてくる。
エメラルドのように輝く大きな瞳は、強い意志が真っ直ぐな光を揺らしていた。
「ユアンさんが助けてくれなければ、わたしもどうなっていたか……でも、ユアンさんのお陰で助かったばかりか、フェンリルに対してもこちらの意思を示すことができました」
「それは……! ああ、そうか! あの、一見無意味に思えた大音量の外部マイクで」
「はい。エルベリーデ大尉を回収したフェンリルの潜水空母は、報告するでしょう……エインヘリアル旅団と特務艦ヴァルハラの存在を。これで連中の注意をわたしの艦に引きつけられます。ようやく平和になった世界に、これ以上戦争の火種はばら撒かせません!」
ユアンは素直に驚いた。
てっきりムツミも、長い大戦の中で生み出された広告塔、象徴的な偶像だと思っていたのだ。
だが、違った。
彼女は才色兼備の才媛で、全て計算ずくでの行動を選択していたのだ。
ユアンへヴァルハラへの着艦を促した、あのマイクからの大絶叫。
それは、ユアンを通してフェンリルへと叫んでいたのだ。
自分たちの存在、そして敵対する意思を。
明確に伝えることを彼女は選び、同時に……自分が無事、エルベリーデの率いる編隊の暗殺を逃れ、着任したことを知らしめたのである。
そう知ってユアンは、間近に迫る少女の顔に思わず笑みが零れた。
「なるほど、大した大佐さんだ。いや、失礼……ムツミ艦長」
「いえいえっ! これからもよろしくお願いします、ユアンさん。近日中に"レプンカムイ"の整備用パーツや予備エンジンが届きますので」
「それは助かるな。そうだ、助かるついでに……この携帯端末なんだが、どうもよくない。ちょっと、使い方を俺に――」
ますますムツミが顔を近付けてきた、その時だった。
突如沸騰した空気が、この場所が軍艦だと思い出させる。
突然のアラートと同時に、周囲でも慌ただしくドアが開かれた。幾つかの個室から士官たちが飛び出て、急いで駆け抜けてゆく。勿論、皆が皆そろって女性だ。
肌も顕な者たちも軍服をひっかけ、ユアンの存在など知らぬかのように走り去った。
そして、艦内放送が響き渡る。
酷く冷たい声の主は、オペレーターのリンルだ。
『ブリッジより各員へ。至急、第一種戦闘態勢へ移行せよ。あと、艦長はブリッジへお戻りください。繰り返します――』
突然の戦闘配置。
コンシェルジュの真似事をやらされていたユアンも、思わず表情が引き締まる。
そして、彼は見た。
目の前でムツミの顔が、あっという間に幼い少女のあどけなさを脱ぎ捨てるのを。はしごから飛び降り振り返った彼女は、無邪気な笑顔を怜悧な仮面で隠していた。
可憐な健康美とは真逆の、冴え冴えと研ぎ澄まされた美貌が覇気を帯びる。
「見つけましたね、目標を。では……ユアンさん! わたしとブリッジに上がってください。お見せします……わたしたちの敵、秘密結社フェンリルの正体を」
真っ直ぐな眼差しのムツミは、既にこのヴァルハラの艦長の顔をしていた。英霊たちの魂を導き招いて、この艦は敵を捉えて戦へ臨む。その指揮を取る彼女はいわば、ワルキューレたちを統べる女王だ。
黙ってはしごを降りたユアンは、大きく頷きムツミと共に走り出した。
はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~