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あまった林檎としゃべるハチワレ猫〜第4にゃ 大嫌いだった酔っぱらいオヤジ

 今夜は珍しく飲み会に出席して、えらく酔っ払ってしまった。
 今回の人事異動で結構な人数が入れ替えになるので、みんなで飲みましょう的な趣旨だ。そういえばコロナの2年間、こういう事なかったなあと思ったら楽しくて飲みすぎた。
 課長は部長が居ないのをいいことに「あのアントマンがさ」とご機嫌。映画好きの課長らしいあだ名の付け方だ。というかリモートばかりで課長のそういう人間っぽいところ見る機会なんか全然なかった。
 直接姿を見ると視線の動きで何かが伝わる。欽ちゃんが言ってたな。「告白された人を傷つけずに断りたいときは『ありがとう』って言って、離れ際にすっと視線を切れば良いんだよ。すると『あの人は僕に気がないんだな』って向こうが勝手に気づくから」って言ってた。リモートじゃわからないことっていっぱいある。
 久しぶりに人のオーラを浴びた僕は悪酔いしてしまった

 帰りの電車で運良く座れたのは良いけど世の中がグルグル回ってた。必死に正気を保つ努力をして周りを見る。すると結構酔っ払いがこの車両に乗ってる。みんな生活様式が戻ってきたんだなあ。と思った、その時「何すんだよ!」と男性の大きな声がその車両内に響いた。
 ボクの席から少し離れたところで、つり革に捕まったボクと同じ年代くらいの出来上がったオジサンがふらついて、座っているビジネスマン風の若者に乗っかかってしまったらしい。
「すみませんでした」
 車両内は一人残らず、その二人の様子を顔を向けずに注目していた。
 お陰で蚊の泣くような声で謝るオジサンの声もみんなの耳に届いていた。
 オジサンは若者に謝ったが、罵声は止まることがなかった。
 今風の肩のない軽めのネイビーのスーツに白Tシャツの若者は、これまたあの時風のスーツの青山セットっぽいスーツ姿のオジサンに激ギレしている。
 ボクのとなりのこれまた酔っぱらいオジサン2号は「あんなに怒らなくても良いじゃないですかねえ」と、全く知り合いではない小声で僕に話しかけた。
「ああそうかもしれませんね」無難に返したボクに遠い記憶がフラッシュバックした。

「なにするんだ!このオヤジ!」
  酔っ払いオジサンにこれ以上ない暴言と怒号を浴びせた若者はボクだった。
 その頃のボクは私生活全てを投げ売って仕事をしていた。悪魔と契約して自分のこの後の人生の運を全て今くれと心の中で誓うくらい仕事をしていた。できる努力は全部した。誰よりも働いて毎晩終電で帰宅。だから終電に乗ってる酔っぱらいオジサンが大嫌いだった。もうチャンスも未来もなく、ただただ会社員を続け、新橋あたりで安いホッピー飲んで仲間同士で愚痴を言い合うオジサンを唾棄していた。
 すると目の前の酔っぱらいオジサンがこともあろうに車内で嘔吐。そのゲロがボクの靴にかかったのだ。ボクはプチンと切れた。靴が大事だとか、ゲロに腹が立ったとかいうより、ボクは仕事で死ぬほど疲れて帰っているのに、お前は飲んで帰るのか!という理不尽な怒りだった。
 つかみかかろうとするボクを年配の女性が必死に止めました。あの頃のボクには怒るというエネルギーがあった。

「にゃにすんだ!コノヤロー!いやだーーーーーっ」
 その夜の大格闘はコテツの爪切りだった。
「てめー酔っ払ってるだろ!そんな日に爪なんか切るじゃないよ!」
 ボクは無言でコテツを抑え込み、指の一本一本肉球を押し込んで爪を出させ、伸びて尖った部分を丁寧に切ってゆく。ネコの爪の根本には血が通っている部分があるので切りすぎると出血する。でも神経は通ってなさそうだし、痛いわけない。と、ボクは思っている。酔っ払ってるけど思いついちゃったんだから仕方ない。
 とりわけ前足の親指(?)の爪は切りにくい。爪を出させるのが一苦労だ。コテツはともかく全力で逃げるチャンスを伺いながら、身体をよじり、罵詈雑言をボクに浴びせる。
 あの頃のボクのエネルギーはどこに行ってしまったんだろう?いつから妥協してしまうようになったんだろう?いや結構遅くまで妥協できなかったから、誰とも分かりあえなくなって孤立しちゃったんだよなあ。意見の調整とか、前もって説明周りとかいつまで経ってもできなかったもんな。
「根回しはニーズの確認なんですよ」って大福が言ってたなあ。
偉いな、あいつは。だから同期の中でも出世するんだろうな。僕はうまくいかないことを全て運でかたづけてた。あの頃、全ての運を今くれと悪魔に誓ったんだから仕方ないと。自分で自分に呪いをかけてしまっていた。
 せっかく人間の言葉がしゃべれるようになったコテツは怒り心頭で、ボクをコミュニケーションなんかまったく取れていない。
「痛い!」
 油断してしまった。ちょっと違うこと考えてる隙にコテツが爪を切っている反対の手でボクの左腕を思いっきり引っ掻いて、逃げた。
 漫画のような赤い三本線がボクの二の腕に残った。
 滲んだ血を舐めたら苦い味がした。