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初めて買ったバイクの話

 先日、2ストスクーターについて語ろう!という動画を見ました。初めて乗ったスクーターを思い出し懐かしくなったのでその話をしようと思います。

 初めて免許を取ったのは昭和も終わりの17歳の時。原付(50cc以下、以下原チャリ)でした。きっかけは高2の冬休みにそんなに仲良くなかった小学校の同級生から一緒に免許取りに行こうよと誘われたから。当時私が通っていた高校は原チャリの免許を取るのはOK、学校に乗って来なければ原チャリを買うのも乗るのもOKという校則。問題なさげだったのでその誘いにホイホイ乗って、冬休みに教本を勉強し、年明けすぐに試験を受けて免許を取りました。

 時は50ccバイクの絶頂期。今でも魅力的なバイクがたくさん出ていました。手元に免許があるんだからバイクに乗ってみたい。早速貯金をはたいて新しいバイクを買いました。

 選んだのはヤマハ ジョグ スポーツエディション 。もちろん2スト。色は赤。ヘルメットもショウエイの赤いジェットを同時に。ただお店だけは自分で選べず、父親が知り合いの自転車屋さんがあるからとそこで契約。(当時は自転車屋さんで原チャリが買えました。)本当はその自転車屋さんの親父さんがちょっとこわくてお店もあまり好きではありませんでした。

 原チャリは楽しい。体に風を受けるってこんなに気持ちがいいとは知りませんでした。それまで自分で運転できる乗り物で一番速く、遠くまで行けたのは自転車。それがエンジンの付いた乗り物になるのだから、速度も移動距離も比べものにはなりません。どこまでもこれで行けるんじゃないか、と本気で思いました。原チャリの運転に慣れてきた頃、本屋さんで地図を買い、小学校のバス遠足で行った所に1人でバイクで出掛けました。自分史上最大の冒険。(当時)大人の力を借りずに来れたのもうれしかったなぁ。

でも、バイクのある生活は1年半で終わります。私の進学を機に家族で都会に引っ越したからです。それまで住んでいた新潟の田舎と違い、東京近郊の交通量が激しく多い道路を走るのは怖い。それに行きたい所なら電車と徒歩で十分。次第に乗らなくなりました。

 少しバイクの存在を忘れかけた頃、住んでいるマンションの管理人さんから母親を通して私のバイクのシートに焦げた後があり部品も少し盗まれている、物騒だから処分してくれないか、と言われました。仕方なく廃車の手続きをして、管理人さんを通じて業者に引き取ってもらいました。

 『手間かけさせやがって』と言わんばかりの顔で「バイク、処分したから」と言った母。たぶん母親は私が原チャリに乗るのがずっと気に入らなかったのでしょう。これで母はすっきりしたようにも見えました。

 ああ、私の寂しさはこの人には分からないんだ。とあの時の私はまた悲しくなったのでした。

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