「一言」記事もあると知ってうれしくなっています
私のnoteのタイムラインの恒例行事「水曜日はスキレター」が面白いんです。
こんなに魅力のある書き手さんがおられたのかと毎回発見があって楽しいんです。ああ私もこういう文章が書けるようになりたいとか、こういう物の見方ができるようになりたいとか、ある意味目標をいただいている気がします。
そんな今週のスキレターで気になったのが「一言を記事にする」というもの。久保田さんのスキレターで知りました。
(いつも記事をお借りして申し訳ありません)
私はこれまでnoteはある程度の字数がないと記事として成立しないと思っていました。実際noteのノウハウ系の記事で「1,000字から1,500字くらいになるようにしろ」というのを見かけます。
だから「そんなに字数を稼ぐような記事は思いつかないけど、投稿記録だけは伸ばしたい」という時は「つぶやき」を使っていました。140字だったらツイッターでやってることなので書くだけだったらできそうです。
ところが、この『「つぶやき」と「作品」。』という記事の中で「字数はつぶやきでも間に合うけどあえて記事に仕上げて出している」という作品が紹介されていました。
(どういう物なのかは久保田さんの記事中にあるので、どうぞそちらもあわせてご覧ください)
短い文章できちんと表現されている。
驚いたしすごいと思ったし。そして真似してみようと思いました。
久保田さんの記事にもありますが、つぶやきと違うのは「見出しの画像とタイトルを付けるという作業が出てくる」ということ。確かに作業工程が増えるのは億劫に感じます。
でも私はそれより「言葉を選んで捨てていく」作業の方が大変なように感じます。
普段しゃべるのが好きなのでてきとーにだらだらと文章を綴っていったり、余計な何かを文章に足していく作業はあまり苦に感じないのですが、削るとなるとすごく頭を使います。
自分が言いたいことは何なのか?
どの言葉を残せばそれがきちんと伝わるのか?
自分が書いたことにきちんと向き合わないからなのでしょうが、これは大変な作業なんだと想像しています。
でも楽しそうにも思えます。
すごく難しくてつらいかもしれないけどやってみたい。
今はそんな気持ちになっています。
ということで、私もいずれこういうスタイルにも挑戦したいと思います。
まあてきとーな私のことなので、書く内容は薄っぺらいと予想が付きますが。
そしてその時は「ながまきさん、苦しくなってるな」と心の中で笑っていただければ幸いです。
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