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煌めく瞬間にとらわれて(THE FIRST SLAM DUNKのキャスト発表で泣いた話)

自分でもびっくりしたけど涙が

今日、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の声優、主題歌、予告情報が解禁となった。メインキャラクターの声優陣が一新されたという内容に、誰もが驚きを隠せなかったに違いない。私は今、涙を浮かべながらこの記事を書いている。

正直なところ、私はSLAM DUNKの「熱心な愛好家」ではないと思う。漫画やDVDも持っていないし、内容も朧気な部分がある。そんな身分の者がこんなブログを書いては、熱心な愛好家の皆様からお叱りを受けるのではないかと少しおびえているほどだ。しかし、このうっすらと頬を伝う涙が嘘ではないことは確かだ。自分でも驚いているが、私は声優陣の名前を見て、YouTubeで声入りの予告を見て、「ああ哀しいな」と思って泣いてしまったのだ。この涙はどこから来たのか。自分の思考の海を深く深く潜った先に辿り着いたのが、「淋しさ」だった。

淋しさの正体

振り返ってみると、私にとってSLAM DUNKは青春の一ページだった。大人っぽい作画に、大人っぽい主題歌。高校生になったらあんな風になれるのかな、なんて知らず知らずのうちに「憧れ」を抱きながらアニメを見ていたこと。いつの間にか母も一緒に見ていて毎週楽しみにしていたこと。大学のサークルの先輩に「永池ちゃん、SLAM DUNKは人生の教科書だよ。読んでいないなんて、あかん。ミクロ経済学基礎より大事な必須科目や」と言われて漫画を全巻貸してもらったこと。夏休み中に何度も読んで、豊玉戦で辛くて泣いたこと(豊玉戦かよ!と言われそうですが)。仕事でマレーシアに行ったときに現地の人と「SLAM DUNK!大好きな漫画!」と盛り上がったこと。自分が自分の世界だけで小さく楽しんでいると思っていたものが、実は世界中の心を動かしていたと知った時の驚きと誇らしさ。懐かしさや好きなものへの熱量が国境を越えることの感動。

結局バスケ部には入らず仕舞いだったのに、熱心な愛好家ではないはずなのに、この作品はこんなにも私の人生に入り込んでいる。

そんな彼らに映画でまた会えるのだと、勝手に胸を躍らせていた。

そしてその思いが叶わないことが、今夜はっきりと解ってしまった。そのことがショックで、哀しくて、淋しくて、涙が止まらないのだろう。裏切られた、という気持ちではなくて、ただ純粋に「会えなくて淋しい」が正確な表現だと思っている。

淋しさと前に進むこととは、別

一方で、声優陣を一新し、主題歌もアニメーション表現もすべてを新しくしたことは、全力で応援したいと思う。作者の井上雄彦先生が脚本と監督を務めているということは、生みの親の意思で一新したのだと解釈していいだろう。そこには「若手の育成」や「業界の育成」といった思いが込められているのではないかと、勝手に想像する。また、「新しいコンテンツにするのだ」という強い意志も感じられる。今流行りの、昔の映画を同窓会的にリメイクする映画の様にはならない、新しい人たちに向けた新たなチャレンジをと、ある種の変革を起こそうとしているのではないだろうか。

私たちファンが過去作を懐かしむことは、過去作にとらわれていることでもある。前に進めなくなること、懐古主義に陥ることを、井上先生は嫌がったのではないだろうか。今、私たちが生きづらさを感じているその手の要因を、THE FIRST SLAM DUNKを描くにあたり井上先生が引きずりたくなかったのだとしたら、それは英断であり、業界の希望であり、私たちの未来を明るく照らすものだと思う。

とはいえ、淋しい気持ちや、「花道じゃない…ジャイ○アンや…」という違和感は、湧いてきてしまうのだから仕方がない。仕方がないと諦めて映画をみないのか、時間をかけてその気持ちと向き合い、映画館まで足を運ぶのか。

公開は12月。まだ時間はある。

落ち着いてプレーすれば、前に進めるかもしれない。

諦めたら、そこで試合終了ですもんね。安西先生。


ながいけまつこ



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