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「食で人を幸せにしたい」のではなく、「食は人を幸せにする」ということをただ伝えたいだけだった


雨の日曜日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
ここ数日、わたしはアトリエ(家だけど)にこもって
改めて自分を掘り起こす作業をしています。


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これ、テーブル。
生い立ちから今までの出来事や感じたこと、
取った行動、そこから出てきた思いや確信など
一言ずつ書いてペタペタはっています。

壁に貼るよりもテーブルに。

心に聞きながら
ネガティブな感情も出していきたいからです。


執筆をしている中で、改めて根底にある思いや
その思いのルーツを探りたかったのです。

執筆ってわたしにとっては
今わたしの中にあるもの全部を
出し切ってまとめること。

”次のフェーズに行く準備”という名の
モヤモヤやジレンマが交錯する時期でもあるのです。

今のジレンマは栄養士として求められることや
自身の発信が果たして
本当に自分の伝えたいことなのかというモヤモヤ。



なんで管理栄養士になったのか
わたしは何をする人なのか。

これは拙著にも書いているし、
この本を書いた2015年あたりは自分を見つめることを
一生懸命やっていたので、これで解決!
だったはずなのですが、
またここにきてジレンマに襲われています。

毎週木曜日19時に南雲吉則氏と開いている
clubhouse栄養外来で南雲氏が言っていました。

心というものは存在しない。悩むというのはDNAに刻まれたと損得を考える頭(思考)の狭間で自律神経が乱れているということ


魂に刻み込まれた利他の心と、
頭で考える利己の心に
大きな開きがあるときに人は悩む。と。


また、何かのドキュメンタリー番組で
こんなことも言っていました。

「魂」の語源は「風」です。それだけ実態がないものということだ


見えないし、形がない。
だけど一人ひとり生まれながらにして
DNAに刻まれている魂。

見えないから見つけようとするのは
もはや無謀なのかもしれない。

だけど、見えないからこそ、
”思い出しに行く”ことが必要”だとも思ったのです。

きっと生まれてすぐの時にはそこにあったもの。
大人になり、社会の中で
生きていく途中で忘れていたもの。

だから、起こったこと、今までの軌跡、考えたこと、
行動したことを一つずつ言語化していくことで、
その見えない魂というものを思い出しに行く。


ふと立ち止まって、こうしたくなるときは、
ここまでで得た知識や考えを
すべて出し切って次に進みたい。

大掃除をして、次の家に引っ越すような、
そんな感覚に似ているのかもしれません。

いろいろやったらいい、必要なことだけ残るから。
捨てる時は惜しみなく。必要なことは残っているから。

こんな言葉もわたしの中から出てきました。


管理栄養士になりたいと思ったのは中学3年生のころ

叔母に「栄養士になったらいいやん」
と言われたことがきっかけでした。

母子家庭の長女という環境に育ったわたしは、
簡単なものだけど台所で作るということを
何気なくやっていたのです。

おばあちゃんちの台所に立っているわたしに
叔母が言ったその一言が
きっかけだったと記憶しています。

「栄養士」という言葉に
「家族の健康管理ができる仕事」と結びつき、
栄養士になる、と決めました。


ちょうど中学3年生の頃に阪神大震災があり、
被災しました。
救援物資でわたしたちは食べ物に困ることがなかった。
ありがたいことです。

そんな経験があるから、

「食で人を幸せにしたい」

と思って今の仕事をやっている
思っていました。

でも、なんか違和感があったんです。

食べ物で幸せをもらった。それは事実。
でも、だから
今度はわたしが”食で人を幸せにしたい”
というのはなんかしっくりこなくなってきた。
いや、ずっとしっくりは来ていなかったのかも。

言語化するのは、とても難しいものです。


付箋に書き続けて気づいたこと

わたし料理することももちろん好きなのですが、
料理というよりも、
加工品を自分で作りたい欲が昔から強かったです。

パンにみそ、トマトソース、らっきょう、
梅干し、ピクルス、燻製…

今はビールが作りたくてホップ栽培に参加したり、
クラフトコーラやスパイスカレーなど
自分で一から作る、
ということに関心があるんです。

発芽玄米が作れる炊飯器とかも買っていたなぁ。

おばあちゃんが韓国の人だったので、
キムチを漬けていました。えごまの葉の漬物とかも。

母もポン酢を手作りで作っていたり、
ミキサー回してミックスジュース作ってくれたのは
本当にうれしかった!

そういった自分で作る、というのが楽しい
おいしさのエッセンス。

わたしは「食で人を幸せにしたい」のではなく、

「食は人を幸せにするよね」ってことを
ただ言いたいんだ。


そこに行きついたんです。
しっくりきた~。


この記事↓を書いた時も、
家庭料理が健康の源だと研究者が言ってくれるのが嬉しかった。

だよねー!わかるー!と。


去年から長野の諏訪地方に移住してきたのですが。
ここにはこの土地ならではの、
寒天や凍み豆腐などのような
昔からの食べ物があって。


今年の冬に仕込む時期に
取材させてもらおうと思っています。

その文化や歴史、作り手の思いを
たくさんの人に知ってほしい!
世界中に
「日本にこんな素晴らしい食材があるよー!」
って言いたい。

栄養学的に優れている、というようなこと以上に
文化や土地と人の手によって作られたものに
人は幸せを感じるんですよね。
ということを伝えたい。


家族を健康にしたいと思って栄養士に憧れ
食で幸せを感じていたわたしがやりたいことは

たんぱく質は何グラム摂りましょう、
ということにはとどまらない。


食のルーツやそれを作る人々の思いも含めて
知り、味わうことで
食べるって幸せだよね、
栄養もこんなに優れているね

とお墨付きをしたいんだと。

そのために栄養学を学んできたんだな、と。


週末、新米が届きました。
八ヶ岳で太陽をたくさん浴びたはざかけ米。

土鍋で炊いていただきます。







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