嫌なことがあったときにやっていること②全部自分のせいって思う
嫌なことがあったとき、誰かのせい、環境のせいにするよりも「全部自分のせいだ」と思えたら楽です。
わたしの会社員時代は、まさに人のせいにする思考でした。
なんでわたしばっかりこんな目に合うんだろう。
今考えるととてもネガティブで、いつも誰かの行動を見張っていたように思います。
あるとき、テレビを見ていたら、赤木春恵さんが出ていて「ストレス発散法は?」といったたぐいの質問に「全部自分のせいって思って寝る」とおっしゃっていました。
それを見た時にはふーん、とスルーしていた何気ない言葉だったのですが、ふとそれが蘇ったのですよね。
全部自分のせい・・・
でも、やっぱり他人のせいってこともあるでしょう?
それは全部あなたの責任ですと言いたいのではなく、自分の解釈として自分のせいだと考えると消化できるのではないかと思うのです。
大きな仕事上のトラブルがあったとしましょう。それを先輩の何かしらのミスで起こったものだとします。
あなたがその害をこおむったとして、それを先輩のせいだ、と思っても憎しみや「なんで・・・」といった気持ちが大きくなる一方ではありませんか?
先輩に謝られたとしても、心のどこかで「謝ってもらっても起きてしまったことは戻せない」と余計に腹が立ったりしませんか。
会社員時代のわたしはそうでした。
当時始めたばかりのブログには、先輩の文句ばっかり書いていました。まったくそんなつもりはなかったのに無意識です。
無意識の中に毎日、毎時間、その人へのネガティブな思いが、どんどんどんどん膨れ上がっていくのです。
また失敗するんじゃないか。また迷惑”かけられるんじゃないか”と心配や不安が頭を占領するのです。
あるとき、その自分の書いたブログを読み返してゾッとしました。
「わたしはいつもこの思考だった」
自分に自信がないことへの裏返しだと思いますが、相手の汚点を見つけてはそれをフォーカスあてて拡大して、「ほら、あの人はだめだ。」と相手を落としてみせて自分の存在を確立しようとする。
これはすべて自分が作り出していることでした。
そのブログを読み返して、わたしはとてもネガティブな思考パターンだったと気づき、「もうこんな思考は卒業しよう」とそのブログを抹消しました。
そこから少しずつですが、何か問題があったとき「自分に未然に防ぐことはできなかったか」と考えるようになりました。
最初は自分のミスを認めるのが怖かったです。そういった怖さも人に責任を押し付けていたということが分かりました。
ミスを認めて、全部自分のせいだと考えるようになると、当初感じていた恐怖は空想でしかなかったと分かりました。
自分のミスを認めたら怒られるかもしれない。戦力外通知を受けてチームから外されるかもしれない。
でも、実際にはそんなことは起こりませんでした。
それどころか、自分のせいだと考えることで、次はこうならないようにどうしたらいいか?と対策を考えることができるようになり「これくらいの小さなミスをしておいてよかった」と思えるようにもなりました。
もしこれを他人のせいにしていたら、その原因を突き詰めることなく見ないふりして人任せにして、もっと大きな問題に発展していたかもしれません。
全部自分のせいだと考えることで、原因を突き詰める勇気が出て、二度とこんなことは起こさない、と強い気持ちで向かうことができる。
結果、失敗も恐れず、行動力が増しましたし、決断力が出てくるようになりました。
起業して、チームのみんなで仕事をする上でも、こういった気持ちを持ててよかったと思っています。
だから、今も、何かあれば全部わたしの責任。そう思っています。
一方で、一人一人にそういった責任感ももってもらいたいと考えているので問題が起こったときはただ責めたり叱ったりするのではなく、原因を見つめ、こういった問題が大きくなればどんなことに影響するかということも一緒に考えるようにしています。
赤木春恵さんの言葉は偉大。改めてそう思います。