「晴れの日も雨の日も」#3私にとっての定年退職(noteを始めるきっかけ その2 導入編後編)

ま、還暦といったって、今は定年延長当たり前の時代(一部に45歳定年なんていう話も最近出て来ましたねー。これはこれでオモシロイ議論だと思いますが、また別途掘り下げましょう)。たぶん65歳までは会社は面倒見てくれる。うまくいけばプラスαも。そんなに大げさに構えなくてもいいんじゃないの。退職金ももらって、子供の養育費や家のローンもまあダイジョーブ。いけるとこまでサラリーマンやってあとはブラブラ、たまに昔の連中とゴルフでもやって。定年延長は、ポストから外れたり、会社での立場ややりがいは今まで通りにはいかないかもしれんが、その分責任も軽くなる訳で、ぼちぼちやったらええやんか。それがフツーやんか。みんなそうやで。
そう言っちゃえばそうなのです。世間のサラリーマンの大半の人はそうなのです。でも、「自分とは何者か?自分は何がしたいのか?」なんていうややこしいところにいったん目がいってしまうと、もうそこからは逃れられない。この正解のない問いに向き合い続けなければ気が収まらなくなってしまうのです。名付けて「“本当の自分とは”アリジゴク」。もっともこのアリジゴクは定年だけに限られたものではありませんけどね。

で、私の場合は、大人しく子会社で高給を頂いてぼちぼちやっていくというだけでオレは本当に満足できるのか?と考え込んでしまいました(今日現在はまだその“ボチボチやっている”状態ですが)。「置かれた場所で咲きましょう」というステキな言葉がありますが、よしんばこれに従ってこのままぼちぼちサラリーマンを続けるにしても、今の当社の制度では62歳で退任。結局その後どうするの?という問いから逃れられない。多少早いか遅いかの違いだけで、早晩、それもそう遠くない将来に組織から卒業して一人の「長井克之」に戻る日が来る。いや、戻るというより、○○学校のとか、△年△組のとか、××部のとか、何の所属もないただの個人になるなんて、物心ついてから初めての体験。いわば未体験ゾーンへの大きな旅立ちなのです。加えて、体も気力も(あとオツムも少し)直ちにゴミ箱に放り込んでしまうにはチョットもったいないのでは、まだまだ社会のお役にたてることがあるのではという気も少なからず。じゃあ、個人に戻った時にどうしたいの?どうしたいの?どうしたいの?

このあたりをしばらく一人でグルグル彷徨っていたのですが、同い年の親友(心友)とそんな話をしているうちに、「60年の俺の人生、それなりの大恋愛をしてヨメハンには出会えた。5人の子宝に恵まれ、わいわい言いながらやってきて、バスケットのコーチも思いっきり堪能した。仕事を通じて自分の人間としての成長を実感し、十分思う存分腕を振るってきた。最後に海外勤務も経験させてもらった。あのハナタレアカンタレがようここまでこれた。これもひとえに会社の諸先輩・同僚・家族を始めとする「皆様」のおかげ。ここまで公私ともに大充実。後悔もやり残したこともなし。自分のことはもう十分。むしろここから先は、自分のことより、これまで頂戴したご恩を次の誰かにバトンパスする「御恩送り」こそ残りの人生での自分の仕事」と気が付く日がありました。これは別にエエカッコをしている訳ではなく、ホントに自然に口からついて出たのです。
これでほんの少し出口が見えた気がしました。(つづく)

今回も最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました♬

                    長井 克之

                    nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告編(毎週土曜日投稿予定)>

#4 私のやりたいこと(noteを始めるきっかけ その3 「御恩送り」と   

  「長屋のご隠居」)

#5 私の考える「コーチング」(noteを始めるきっかけ その4 締め)

#6 「晴れの日も雨の日も」に込めた想い
#7 学ぶとは
#8  シニアになる-卒業について
#9 成長について

(続く)

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