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「晴れの日も雨の日も」 #96 出会うべくして

「私、神様と仲良しやねん」という知人がいる。
私も願いは叶うということを信じてきた。拙note#27チャンスの女神で投稿した通り、そういう実体験もしてきた。しかし、「神様にお守り頂いている」というところまでは考えてなかった。
この言葉を聞いて蒙が開かれた。そこから引き寄せの法則とか言霊とかに興味を持つようになった。

ここしばらく私は心のなかにちょっと引っかかることを抱えている。自分の中でのその処理は一進一退で、なかなかすっきりできずにきた。そんななか、reteeciaさんの下記記事に出会った。

「叶ってないことを願いがちだが、それでは叶っていない状態が現実になっているだけ。本当に叶えたかったら「実現しました。しあわせです。ありがとうございました」と感謝する。そうすると宇宙のエネルギーがその通りのことを形にしてくれる」という。

私はこれを読んで、天啓にうたれたような思いがした。
しかもよく見ると、過去に一度この記事を読んでいて、スキもしているのに、全く気がついていなかった。つまり、この最初の時点ではこの記事は私の中に本当には入ってきてなかったことということなのだ。
それが今度は胸にすっと入ってきた。視界がサーッと開けたような気がした。いやー、これやん!とめっちゃ腹落ちした。

今がこの記事に出会うべき時だったのだ。
本当に求めている時に求めているものと出会うよう神様はお導きをされるのだ、と得心する思いだった。

上記拙note#27で書いたが、レセプター(受容体)を開く、ということをコーチングで教わる。人は関心のあるものしか見たり聞いたりしようとしない。だから、そういう情報の受け取り口がどっちに向かって開いているかがとても大事だ、という趣旨だ。私も実感を持ってこの話を理解しているつもりだったが、一段掘り下げて「出会うべくして出会う」ということを考えるようになった。


それは言葉だけではない。人も同じだ。
知り合ってもうすぐ1年になる知人がいる。
その人のおかげで私は人生の彩りとかうるおいということを考えるようになった。
1年前というと、会社での立ち位置が微妙になっていて、コーチングの勉強を始めて半年たった頃。私の中に少しづつ変化が起き始めた頃だ。

以前の私、特に親会社の営業前線でブイブイいわしてた頃は、がむしゃらに前進することしか考えていなかったに等しい。その頃にこの人に会っていても、私はその価値に気づかなかっただろう。その価値を私が感じ受けとめられる、まさにここ、というタイミングで神様はこの出会いを準備されていた。また、逆に半年強遅ければ、今度は私が会社を辞めていて、物理的に会うチャンスはなかっただろう。
今はその人と頻繁にやりとりをしている訳ではないが、つながりはしっかり感じられるし、会えばまたすぐ打ち解けた話ができるのは間違いない。


出会うべくして出会う。
オソルベシなのだ。


そんなことを考えているとしみじみと酒が飲みたくなってきた。明後日は10月1日。多くのサラリーマン・ウーマンの皆さんには下半期の新たなスタートの日。私も少々思い入れのある日だ。明日はハナキン。久しぶりにおでん屋に行って、一人前夜祭をしてこよう。

追:気がつけば今回記事は#96。100回の節目が目の前に迫ってきた。週明け10/3(月)から必殺4連投で100回を迎えたい。お題は下記の通りです。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之  

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<予告>
# 97  今どこ?
# 98  ギャップ
# 99  どう言ってもらうのが一番嬉しいか
#100 1周年&100回記念 図解!これがながいコーチだ!
#101 Next Stage

(続く)


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