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「晴れの日も雨の日も」#30 男らしいって何だろう(前編)

女性の社会進出は今や世界中の大きなうねりだ。
女性にも男性と等しく人権があり、能力に応じて働く場を与えられるべきである。女性だからという事で機会を奪われるのは間違っている。
全く同感である。
ところで「女性」がこうしてスポットライトを浴びる中で、「男性」はどうあるべきなのだろう。女性を支え、女性のために努める、場合によっては道を譲る、ということなのだろうか?
男らしいって何だろう?同時に女らしいって何だろう?

26歳独身の拙宅娘に「今どきの男らしいって誰のイメージ?」と聞いてみた。
「うーん、わからん」
「キムタクみたいな感じ?」と聞いても
「うーんどうかな」と煮え切らない。
「じゃあ、“誰”というのを外すと、どんな感じ?」
「優しい人かな」との答え。
本来は「優しいってどういうこと?」と突っ込みたかったが、あんまりしつこすぎるのも日常の関係にひびが入りかねない。また「優しい」ということを掘り下げ始めると、話がヨソに拡散してしまいそうな気もする。
娘との会話はこのへんで打ち切ることにした。

昔は「男らしい」「女らしい」という概念が比較的はっきりしていた。男はチャンバラ・女はままごと、の世界だ。男は度胸・女は愛嬌なんて言葉もある(私は「男は度胸も愛嬌も」と言っていたが)。
これは、男は外で戦い、稼ぎを得、家族を守る。女はそれを家で支えるという古典的典型的なイメージにつながる。そして、男が泣き言を言わずこの役割を全うするのは容易ではなく、「男はつらいよ」ということになる。

こうした固定的なイメージは、「男だけじゃなく女も外で稼ぐ」という世の中の変化と共に変容を迫られている。
すなわち、変わったのは男性と女性の関係性を中心とした「価値観」であり、「男そのもの」が変わったのではない。「男らしさ」には昔と変わらない部分もありながら、女性との位置関係の変化を踏まえた見直しも加えるべきだ、と考えることがよさそうだ。

事実、男はどんなに頑張っても、子供を産むことはできない。
時代や男女の関係性が変わり、「男らしい」と「女らしい」の垣根が低くなっても、男には男にしかできない、女には女にしかできないことがあるはずだ。体の違いはまず間違いなくそのひとつだ。
出産が女の大事な仕事だとするなら、一般的には男の方が女より筋力が強い。フツーに行けば女や家族を外敵から守るのは男の務めなのだろう。

ライオンはメスが狩も子育てもする。オスはプライドと呼ばれる一族の群れを他のオスから守るのが務めだ。人間に最も近いと言われるゴリラも、子育てはメスの仕事だが、家族を守るのはオスの仕事だ。仲間内のもめごとがあるとメスが仲裁に入ることもあるが、大体はオスが仲裁するらしい。

百獣の王ライオン  実にカッコイイではないか 

こうした「オス」の姿は本来の「男」がどうあるべきなのかを考えるうえで、ひとつの示唆を与えてくれる。
また、総じて男性の女性へのリスペクトが薄い、ということにも気付かされる。DVとか虐待、女性に手を上げるなんていうのは人間だけだ。まさに論外極まりない。

本当の「男らしい」には、元来この言葉から感じられる「強さ」に加えて、女性そのもの、及び子育てや内助の功を始めとする女性の働きを尊重することが必要なのだろう。娘が言う「優しい男性」というのはそういうことなのだと拝察する。

昔何かの映画で「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格が無い」という言葉を見たことがある。そしてその「強さ」とは家族や愛する者を守るためのものなのだ。
強さと優しさを兼ね備えたオトコになるのは至難の技だが、カッコいいオトコというのはそういうことのような気がする。我々昭和世代が「男らしい」で真っ先に思い浮かべる高倉健さんも、実はそうなのだと改めて思う。
そして、私自身は、河島英五の歌ではないが、「時代遅れの男になりたい」と願っている。

(明日に続く)

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