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「晴れの日も雨の日も」#68 言い訳(臨時投稿)

言い訳していいわけ?なんて使い古されたギャグがある。
拙宅トイレに貼ってあるカレンダーの今月の言葉も言い訳だ。

人生、うまくいかんこともある。いや、うまくいかんことだらけだ。
で、つい言い訳がしたくなる。
が、言い訳したってしょうがないんだよなあ。現実が何も変わる訳じゃなし。いかにもしょうがないんです、と言って見せたって、相手がその言い訳を聞いてくれたとしたって、何の意味もない。実は自分をだましているだけのことなのだ。

「仕事がバタバタしてて」
「あの人が非協力的だから」
「いろいろしがらみがありまして」

何かのせいにしたい気持ちはわかる。特に「仕事」のような「やらなければならない」「MUST」感が強いものは格好の言い訳になる。
「そこのけそこのけ仕事が通る」というイメージだ。
ええーい、この紋所が目に入らぬか!黄門さまの印籠みたいなものを言い訳に使いたくなる。

だけど、実は、「やらない」ということを自分自身が選択しただけのことだ。いわば、抗しきれない強いものを隠れ蓑にして、他の誰でもない自分が自分をごまかしただけなのだ。いかにも不可抗力でしょうがないかのように言うことで、私は悪くない、私のせいじゃないというフリをしたいのだ。

たとえば、何かの勉強をしたいけど少しハードルが高いと感じている時に「仕事が忙しくてできない」と思ってしまう。
たとえば、人から何かを頼まれたが、ちょっと気が進まない時に「仕事がバタバタしててムリ」と答える。

よくありがちだが、実は、言い訳をしてその場をとりあえずやり過ごそうとせずに、きちんと向き合った方が、はるかに生産的で、あとあと良くなる。

本当に勉強がしたいのか、勉強してどうなりたいのか。自分の夢は何なのか。
気が進まないという本当の気持ちは何なのか、その何かを頼んできた人になんで正面切って断りにくいのか、その人は自分にとってどういう存在なのか、などなど。

きちんと向き合えば、本質が見えてくる。
勉強の例でいえば、仕事が云々より、自分の勉強に対する気持ちや姿勢、目標の方が本質論だ。
頼みごとをしてきた人の話は、自分の本当の気持ちとその人との関係性をどう捉えてどうしていきたいのか、ということが本質論だ。

答えは自分の中にある。
それを見つめずして、外的な条件に目を向けるのは、その場は楽なようで、事態は解決しない。本来いらないものをズルズル引きずったような格好になる。

おまけに相手が言い訳をとりあえず受け止めてくれたとしても、往々にして、実は向こうは全てをお見通しだ。知らぬは自分ばかり。下手すりゃ相手の評価を落とすだけで、しかも相手はそれを表には見せない。また始まった、なんて陰で鼻で笑われてしまう。
そう考えてくると、なかなかぞっとする光景だ。

と、理屈で言えばこういうことになる。じゃあ、あんた言い訳はしないんか、いつでも向き合ってるのか、と聞くなかれ。私は凡夫匹夫なのだ。言い訳なんか得意技だ。で、その結果としての、もれなくついてくる後悔もたくさんしてきた。たくさんしてきたから、もう後悔したくないなーと思う。
そうすると、一番入り口のところで言い訳をせずに、できなかった本質や何かをカムフラージュにして隠してしまった本当の心と向き合わないといかんなあ、と思うのである。

結局これはコーチングでいうアカウンタビリティ(主体性)の問題だ。ちょっと辛かったりめんどくさかったりするのだが、それが王道であり、幸せへの近道なのだなあ、としみじみ思う。
あなたもちょっと立ち止まって本当の自分の心の中を覗いてみませんか。勇気を出して。

<編集後記>
拙宅ブルーベリーが収穫時期を迎えた。夏本番。自然の恵みに感謝感謝である。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予告>
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#70  全ては必然
#71  2022年7月31日 完全卒業そしてTake off
#72  心はいずこに
#73  先憂後楽とは言うけれど

(続く)

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