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「晴れの日も雨の日も」#93 ヤル気のないヤツ

現在私はコーチングビジネスの営業活動中である。
退職前に前勤務先及びその親会社と業務提携契約を結んで会社を卒業してきた。ある程度のビジネス環境を調えてスタートしたつもりだったが、現実はそんなに甘くない。ながいコーチと実際に一緒にやりたい・対価も払うという相手を見つけたり作ったりするのは容易ではない。

わたしの営業活動先は、まずはこれまで築いてきた人脈をたぐっていくことになる。
さて、誰にどんな順番で会うのがいいだろう。そんなことをいろいろ思案して、アポを取ったり、資料をまとめたり、出向いて話をしたりというのは、昔の営業マン時代を思い出させる。懐かしい感覚だ。嫌いでは無い。

そうやって動いてみると、いろんな人がいることに改めて気づく。
私の足跡やキャラを評価してくれている人。こういう人の好意に出会うと心の底から嬉しくなる。
一方、そうした信頼関係が十分でないと、相手はもう少し遠巻きにこちらを見ている感じになる。これは地道に信頼関係を構築することから始めるしか無い。
そして、いくら話をしても全くその気がない人も、もちろん、いる。

こうした「気のない」人たちへの対応は別に今に始まったことではない。
前職で現役最前線の時にも似たようなことはあった。
馬を水飲み場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない、という言葉がある。その通りなのだが、一方で、伸びるやつは勝手に伸びる、というのも真実だ。
「気がない」ヤツとどう接してどうやってそいつの心の扉を開けさせるか、やる気に火を付けれるか、それがオレの仕事やないか、とその頃は思っていた。
水飲み場まで連れてきて、頭を押さえつけてでも飲ませるのか、
水に砂糖を混ぜてだましてでも飲ませるのか、
飲むまで根気よく待ったり、コンコンと説得を続けるのか、
もう一走りさせて、喉カラカラにさせてから改めて来るのか、
いろいろ工夫をせんかいと思っていたわけだ。ひょっとしたら、どんなやつでもオレがなんとかしてやるぐらいの意気込みだったかもしれない。

最近、その考えが少し変わってきた。
私は精一杯の気持ちで相手のドアをノックする。
ドアの向こうにいる相手の顔を想像しながら。
相手に寄り添う思いで丁寧に。
しかし、そのドアを開けるかどうかは相手の問題だ。

ちょっとドアが空いたら、すかさず靴を突っ込むなんていう聞き込みの刑事か押し売りのような真似もしない。そんなことをしてドアを無理やりあけても、相手の心が開いていなければ、何の意味もない。

私にできることは、どんな場面でもどんな相手にでも価値を与えられるように、引き出しを増やし、その中のいらないものは捨てたり、必要なものを追加したり、そこにあるものをさらにブラッシュアップしたりして、引き出しの中身を充実させていくこと。
わたしがすべきこともそれしかない。

そのドアが開くかどうかは私の手の中にない。開くかどうかはご縁次第。神様の思し召しなのだ。神様がこの縁を繋いでやろうと思えばドアは開くだろうし。そうでなければドアは開かず、私は次の部屋をノックすればいい。そして、その人のドアはまた別の人のノックにより開くかもしれない。

そういう手放すことに気がついて、私はスッキリした。これは人間関係全般に通底することだ。

昔の知り合いで、覗き穴からこっちを見るだけでドアは開けない、という人がいた。こっちの動きに全く興味がないというわけではなさそうだ。
何とかしてドアを開けさせたいと思い、ドアの前で一人飛んだりはねたり、派手なパフォーマンスをしたりした。でも、そんなことをすればするほど、相手はますます警戒心を強めるばかりだった。
こんな元気なオッサン、万一ドアを開けようものなら、家中を蹂躙されるとでも思われたのかもしれない。

だから、なんでも自分で何とかしてやれ、と張り切りすぎずに、自分の頑張る部分と神様に委ねるところを持った方がいいのだと、ようやく、私にも少しづつわかってきた。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
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#95 信じる
#96 出会うべくして
#97 今どこ?
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(続く)

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