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『ミッション・マンガル』 とインド文化

 今回ご紹介するのは一昨年にインドで大ヒットした映画『ミッション・マンガル〜崖っぷちチームの火星打上げ計画』。現在、日本各地で好評☆上映中です。
物語のベースは2013年11月5日、インド南部アーンドラ・プラデーシュ州のサティシュ・ダワン宇宙センターから打ち上げられ、翌2014年9月24日、みごと火星周回軌道に乗った無人探査衛星「मंगल यान (マンガルヤーン)」の成功実話。このアジア初の快挙を、創作を交えて映画化したのが本作です。マンガルとは〝火星〟のことで、ヤーンは〝乗物〟を意味します。ちなみに、ヤーンのサンスクリット発音がヤーナで、日本でお馴染みの「大乗仏教/マハーヤーナ」のヤーナです。
 しかし、二年前の映画ということもあり、すでに日本語Wikiも作られているので、あらすじ等については改めて記しません。よって本稿では、主要キャラクターの背景にあるインドの宗教文化について、その概略をまとめたいと思います。あえて言うまでもありませんが、インド人は《信仰の民》ですので、そこを軽んじてしまってはインド映画が描き出す世界観の三分の一程度しか見えて来ないのです。
〔※人物名の仮名表記については、日本語字幕や公式サイトに準じました。また、以下の解説文については、すべて写真向かって左から右への順になります〕

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 ラケーシュ・ダワンタラ・シンデ
火星探査衛星プロジェクトの責任者とリーダー。責任者の役名は、実際の発射場:サティシュ・ダワン宇宙センターから取っているようです。ラケーシュとは「満月の主」を意味し、タラは「星」です。
 ダワン姓はインド北西部出身者に多く、氏族はスィク教徒の〝ジャット〟に属します。『フライング・ジャット』(タイガー・シュロフ)のジャットですね。
 シンデ姓は彼女の婚姻先ですが、マハーラーシュトラ州に多く、カーストでいうとO.B.C. (other backward class/その他の後進階級)に属します。
つまり、オーソドックスなヒンドゥー教社会では権力側にいないコンビが《闇夜を照らす月と星》になっているわけです。

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 クリティカ・アッガルワールヴァルシャー・ピラーイ
それぞれが夫婦仲の良い二人で、ヒンドゥー教徒。
通信担当クリティカは航行の専門家でもありますが、自動車の運転免許を持っていませんでした。船体設計担当ヴァルシャーは〝収納の達人〟ですが、仕事を優先するため子作りを先延ばしにして、義母から嫌味を言われる毎日でした。
 アッガルワール姓はヴァイシャ(四姓第三位の町民階級)の上層に属し、比較的裕福な身分といえますが、彼女の夫が軍隊に勤務している‥‥クシャトリヤ(第二位の武士階級)ではない‥‥ことを考えると、夫婦で支え合って生きている日常が覗えます。
 ピラーイ姓は南インドのクシャトリヤやブラーマン(最高位の司祭階級。音写:波羅門)であり、彼女のお姑さんが後継者未定を愚痴るのも、家名存続を最優先義務とする高位階級ヒンドゥー教徒ならでは、といったところでしょう。蛇足ながら、ピラーイには「王の息子」の意味合いもあります。

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 エカ・ガンディーネハ・シッディーキー
過去を背負った二人です。
 ジェット推進担当のエカは一見イマドキのイケイケなインド女性と思いきや、実の親を知らずに養護施設で育ちました。そのため、姓は「国父」M.K.ガンディーにあやかって名付けられ、
「おんなじ施設にいた子はみんな〝ガンディー〟なのよ」
彼女はドライな現実主義者です。そうなった理由はもしかすると、帰る場所を持たない過去によるのかも知れません。
 自律システム担当のネハ。離婚歴のあるイスラム教徒女性、というインド社会ではつらい立場にいます。アパートの内見に行ったとき姓を聞かれ、躊躇いがちに答えると、大家さん(ヒンドゥー教徒)が急激に態度を一変させるくだりは象徴的です。また、後半の回想シーンで、彼女が子供のころ夜のモスク上空に輝く月に見入るカットは、本作屈指の名場面でしょう。

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 パルメーシュワル・ジョシアナンス・イェンガー
北の波羅門と南の波羅門です。
ジョシ姓はインド北部のブラーマンに、イェンガー姓は南部のブラーマンに見られる四姓第一位の苗字です。
 積載担当のパルメーシュワルは、占いと縁起担ぎにこだわる科学者。恋愛経験に乏しく、童貞(純潔?)を公言して憚りません。いうなればヲタクです。エカに惚れてます。あれこれ気にするタイプのわりに思い込みも激しく、エカの生い立ち(カースト・宗教不明)を知ってからも、その思いはまったく変わりません。
 設計技師のアナンス。チーム最年長の飄々としたアンカー役です。言うべきことだけきっちり言い、おおらかに全体を見守ります。ネハが「部屋探しに困っている」と聞けば、
「息子が使ってた部屋が空いてるから、そこに住みなさい」
と。ヒンドゥー教の波羅門がイスラム教徒を同居させる…、このメッセージ性をごく自然に織り込んだ脚本は、素晴らしい!の一語に尽きます。
 ちなみに、この時アナンスが言う「うちはヴェジタリアンだからね」は、以前ネハに難色を示した大家さんの台詞「貸すのはいいが、この部屋で肉料理を喰うな」と一対になっています。
 その後ネハをバイクに乗せての通勤途中、かつて彼女を悲しませた男と遭遇。老獪なアナンスは『長幼の序』を逆手に取り、思いもよらない行動に打って出ます。つい拍手をしたくなるような、本作では数少ないアクションシーン(?)の一つになってます。
 若いパルメーシュワルと、老いたアナンス。二人の波羅門に共通しているのは、両者とも《ジェンダーやカーストや宗教の違いを無視している》ということでしょう。これは、インド独立以来、社会的に一貫したテーマといえます。
「Religion is for human, Human is not for religion.」(アンベードカル博士)

或る時、チームリーダーのタラは、息子にこう言います。
「自分が信じる神に祈れば、それでいいのよ」

 火星無人探査衛星マンガル・ヤーンを直訳すれば〝火星への乗物〟になりますが、このマンガル(मंगल)という単語には、火星のほかに〝祝福〟の意味もあるのです。祝福への旅を成功させた「崖っぷちチーム」は──、
『शाबाशी यान (シャーバーシ・ヤーン)=ブラボー!への乗物』を打ち上げたのです。《画像をClick》

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