見出し画像

ネジ、蝶番、釘

 アーティストの布施琳太郎さんは、高校時代に『名画を見る眼』を読んだ。
 布施さんが気になった『名画を見る眼』の中の不思議な表現。19世紀のフランスの画家、マネの作品『オランピア』について。
「今にも崩れ去ろうとする壮麗な建築を最後の一点で辛うじて支えているような緊張感と不安感とがある。」
 と書かれていた部分に対し、布施さんは、
「まず、絵画は建築じゃないですよね」とお話を始める。
 ここでわたしは、雛倉さりえさんのYouTubeで、新潮の元編集長の矢野さんが、新人賞に送られてくる作品の中で、自らが推したいと思える作品について話されているのを思い出した。
 綺麗に危なげなく建っている作品よりは、ぎりぎり崩れる寸前だとしても、どうしても作りたいビジョン、大きかったり難易度が高かったり、建てるのが難しいものを死にものぐるいで、とにかく建てましたと、そうして作られた作品を推したい。
 このようなことを矢野さんはお話しされていて、布施さんのお話に戻ると、
「建築が崩れ去るのを辛うじて一点で何かが支えている、でもそれがなんなのかは『名画を見る眼』では示されておらず、読み解くしかない。そんな緊張感と不安感ていうのを、彼(高階さん)は「オランピア」について感じていると同時に、僕はこの(『名画を見る眼』の中の)文章からも感じたりして、生で見たこともない「オランピア」という絵が、忘れられない一枚になるためのきっかけとして、自分の中に残った」
 ばらばらになりそうな建物を、辛うじて繋ぎ止める、ネジ、蝶番、釘。
 目に見えない、ネジ、蝶番、釘が、世界のいたるところに、ふよふよ浮いていて、手で掴むことはできないんだけれど、それは、確実にある。
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?