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神様と、『となりのトトロ』。

さて、前回に引き続きまして、今回は『となりのトトロ』(1988)のお話。

とにかく、最初の「引っ越し」する時に出てくる車が好きだった私。

形状といい、サイズ感といい、子供心にとてもグッときました。

あれは、ダイハツ「ミゼットDK」という車種で、調べたところ発売時期が1957〜1972年で、当時ガックリ来たのを覚えています。

そのため、時代背景はおよそ1970年前後だと思います。

トトロの「お母さん」が病気(たぶん結核)で病院単位で隔離され長期入院が必要となっているのも、その頃ですね。

わざわざ都会から引っ越してきたというのも、光化学スモッグなどが増えてきた時代背景とも当てはまります。

ついでに言うと「お父さん」はその本の表紙などから作家か、民俗学者っぽいところが見受けられたので、引っ越しも丁度よかったのかもしれません。

また、実際、宮崎駿監督のお母さんも結核性の病気である脊椎カリエスにかかっていたそうです。

これが、彼の初期の作品群において「母の不在性」が強調される原体験になっているのかもしれませんね。

1. ツクモガミ

かくして、家族単位で引っ越してきて、最初に出てくるのは「まっくろくろすけ」です。

まっくろくろすけは、地元のお婆さんに「ススワタリ」と呼ばれますね。

でも、そんな妖怪は聞いたことないので、宮崎駿の創作だと思われます。

ススワタリは、煤埃の妖怪だと思われるので、いわゆるモノに宿る「付喪神(つくもがみ)」の一種でしょう。

付喪神とは、室町時代に描かれた『付喪神記(絵巻)』からの言葉です。

これは、物は100年経つと「ケ(霊性のようなもの)」を得て、「モノノケ」を獲得するという古くからの考えによるものですね。

九十九(つくも)と「付く喪」が合体した言葉のようですが、あまり一般的にはなりませんでした。

しかし、「もものけ」が仏教思想と鬼が混ざったことによって、説話「百鬼夜行」として流布したんですね。

そして室町から江戸時代にかけて、様々な説話や絵巻物として残されるようになりました。

また、もともと年末の大掃除は「煤払い」と言って、カマドや囲炉裏から登った煤を払い落とすことでした。

かつて平安時代の宮中行事(『延喜式』)としてあり、それが神社仏閣に伝わり、仏様や神様を迎え入れる行事として一般化していったようです。

そんな「ススハライ」と「ススワタリ」が混ざって、大掃除したら出ていくススを一つの妖怪として描いたのでしょう。

ちなみに、このススワタリに手足が生えて『千と千尋の神隠し』でも出てきますね。

ススが少なくなった現代、あっちの世界で「頑張っている」と言うような意味かもしれません。

2. トトロと巨木

そして、続く2種類目の妖怪、というか神様のような存在として、トトロが出てきます。

単純に大トトロ、中トトロ、小トトロという3種類が存在しているようで、これらの関係性は不明です。笑

ただ、名前と大型に成長?することから、彼らの原型は「トロル」です。

トロールといえば、「ドラゴンクエスト」や、「ロード・オブ・ザ・リング」にもモンスターとして出てきますが、北欧の巨人です。

もともとは、妖精みたいな存在だったので、モンスターではありませんでした。

基本的にでかくて、ド天然で、耳が長くて、毛むくじゃらなヤツとして物語に登場します。

このトロルがそのまま神様になって、トトロになった訳です。

この神様となったトトロは、どうやらクスノキと一緒の神様のような感じで描かれます。

クスノキは、日本において最も巨大になる木のひとつで、またとても長生きです。

また防腐剤や鎮痛剤である「樟脳」になる香木として知られ、「臭(くす)い木」と呼ばれることから、クスノキになったとも言われます。

そして、飛鳥時代には仏像の材に使われたり、今でも木魚や、家具や楽器など様々な用途に使われたりもします。

巨木への信仰は、決して日本だけではなく、例えば北欧神話の「ユグドラシル」のモチーフとなったトリネコの木などにも見られます。

クリスマスの「モミの木」も、常緑樹であるモミの木への信仰から生まれたものでしょう。

とりわけ巨木はそれ自体が、畏敬の念を生じさせるような「生命の力強さ」があり、かつて海洋民族であった日本人と木材とは切っても切れない縁のようなものがあるようです。

例えば、伊勢神宮の大黒柱である「心御柱(しんのみはしら)」は、まず最初に運ばれ、最初に建てられる。

そして、神社一帯を「社(もり)」と言うのも、また神々を「御柱」と呼ぶのも、森林や樹木への信仰によって培われたものでしょう。

このように様々なイメージが集まって、トトロという偶像的イメージに帰結した、そう考えることができます。

3. メイと七五三

そして、映画で出てくるトトロですが、神様なので滅多に人前に姿を現しません。

神様を見れる人じゃないとダメみたいです。

なので、まずメイがトトロ(とススワタリ)に出会います。

なぜでしょう?

なぜなら、メイは設定だと5歳だからです。

5歳は、まだ神様と一緒なんです。


日本では「七五三」と言って、お祝いをしますね。

かつて日本では医療が発達していなかったため、幼児は簡単に死んでしまってました。

そのため、「小さい頃は神様と一緒だから、あっちの世界へ行っても仕方ない」と言われていました。

そして、徳川綱吉の息子が病弱だったため、長寿を祈願したけれど、結局5歳で亡くなってしまったことから、七五三の慣例が広まったそうです。

元気に生きてくれてありがとう、という感じですね。

一方、10歳ぐらいの設定である姉のサツキの方は、アニメでは頑張れば会えるみたいな感じです。

なぜ頑張らないといけないのでしょう?

これはおそらく、まだ大人の仲間入りをしていないため。

つまり、初潮が来ていないと言う暗示でしょう。

あと、メイ(may)もサツキ(皐月)も5月の意味なのは舞台設定もあると思います。

旧暦の皐月、5月下旬から7月の夏至あたり、田植えの時期ですね。

ちょっと成長した稲である、早苗(さなえ)を植えることから「さつき」になったとか言われます。

そのため、トマトやキュウリ、トウモロコシ等の夏の野菜が登場したりするわけです。

4.  六地蔵とエビス

そのトウモロコシを抱いて迷子になるメイちゃん。

彼女がたどり着く場所は、六地蔵なんですね。

六地蔵といえば、童話の『笠地蔵』しかり、日本では親しみ深い仏様ですね。

お地蔵さんは、子供のような顔をしています。

だからと言って、子供の霊や仏というわけではないんです。

彼らは神様なんですが、天国にいることを良しとせず、

「救われないヤツらがいる限り、俺らは天国には戻れねぇ」みたいな事を言って、

子供の魂を救済しようと来てくれてるんです。

なかなかの男前ですね。

そんな地蔵さんが6人いるのは、魂のレベル(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)に対して救済を行なっているからだそうです。(諸説あり)

そのため、日本では救済の意味も含めて、子どもが亡くなったらお地蔵さんに祀られていたんですね。

また亡くなった子供だけでなく、かつては、未熟児や奇形児、また口減らしや堕胎した子供を小船に乗せて川に流したりしてました。

これは、日本神話でもエビス(蛭子)という神様として描かれたりしています。

エビスは、日本神話におけるアダムとイブ、イザナギとイザナミの二人目の子供ですね。

このエビスさん「恵比寿」とも書きますが「蛭子」とも書きます。

この蛭子とは、カエルみたいな子供という意味です。

簡単に言うと上手く歩けない、五体不満足な子供ですね。

そのため、このエビスは船に乗って流されてしまうワケです。

神様の子供なのに、なかなかシビアですね。

そして、エビスさんが乗せられた舟ですが、これをウツロ舟と呼びました。

ウツロとは、ぽっかりと空いた穴という意味で、木をくり抜いて作る丸木舟です。

これはもともと、日本にやって来た神様の一族が乗っていた船でもあるんですね。

神話では「天磐楠舟」(あめのいわくすふね)とか呼ばれたりします。

このように、川というものはあの世とこの世を繋ぐものであり、境目でもあるんですね。

そのためか、川の付近や山間には「お地蔵さん」が祀られて、村の境目を示す標識みたいな意味になったようです。

こういう神様を道祖神(ドウソジン、ミジャクジ)と呼びます。

村に悪霊が入ってこない魔除けや、結界の役目をしてくれているんです。

と考えれば、メイが迷子になった六地蔵は、村の境目なんですね。

言い換えると、トトロたちが守っている地域(結界)の中ギリギリです。

これ以上行ったら危ないよ、あの世だよ、という訳です。

つまり、六地蔵を超えてしまったらメイは….帰ってこれなかった。

という意味では、怖いお話ですね。

5. 567の数遊び

ちなみに、メイが行こうとした母親のいる病院は「七国山病院」という名前です。

気づかれた方もいらっしゃると思いますが、トトロには数あそびが入っています。

トトロが3種類、家族設定が4人、メイとサツキが5月の意味で、六地蔵に、七国山病院。

という風に数字を隠しているわけです。

そのうち、5,6,7の数字が明確に表されているのは理由があると考えられます。

六地蔵として描かれるお地蔵さんは、もともと地蔵菩薩と書きますが、地は「大地」を意味しており、蔵は「胎内」という意味です。

これは、大地と同じように人々を包み込む慈悲の心を持つ、と言う意味です。

そして、菩薩は「ボーディサットヴァ」から来ててて、これは、悟りを求め続けるもの、という意味です。

つまり、お地蔵さんっていうのは、「ものすごい慈悲で人々を救おうとする求道者」みたいな意味なんですね。

彼らは、最後の救いでもある「弥勒菩薩」がやってくるまで、ありとあらゆる人たちの心が救われるように働き続ける人(たち)のことなんです。

そして、弥勒菩薩がやってくると、「本願」が達成される、つまり、誰一人取り残さずに(生きたまま)仏になって救われる世がやってくるらしく、それは「56億7千万年後」なんだそうです。

気の長い話ですが、これも数あそびなんですね。5, 6, 7です。

と言うことは、七国山病院にいるトトロの「お母さん」と言うのは、きっと「弥勒菩薩」のイメージなんです。

だから、「お母さんが帰ってくる=弥勒菩薩の御来迎」なので、最後は全員がハッピーエンド、になるしかない。

どちらかというと、子供は夢の中で、あの世やこの世を行き来できるのではないか。

宮崎駿のものすごい「母」への愛が溢れているなぁ、と改めて感じます。

エンディングで影が無いから本当は死んでいた、とか言われる都市伝説がありますが、駿監督も否定しているように、このように考えると俗説です。

ただ、宮崎駿が実際にあった行方不明事件を題材にしたというのは、本当かもしれません。

6. まとめ

そして、何よりもトトロと言えば、日本の牧歌的田園風景ですね。

今では山間部でしか大量のオタマジャクシや、田園部の複雑な生態系、また時間帯で変わる複雑なのセミのコーラスもなかなか見られなくなりましたが、やはり自然から学ぶというのは大事なことです。

都会ではどうしても人工物やゲームなどの仮想空間に心の拠り所を探さないと行けませんが、そうなると、どうしても現実世界とのつながりが希薄になっていきます。

自然はそのものが大きな循環として、時に残酷ではありますが、まさに「ほんもの」として目の前に広がってくれる。

そして自然の優しさは、どこまでも強いメッセージとして、人に何かを語りかけてくれるかのようです。

(おわり)


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