姫事絶対値『浅茅が宿』に対する考察とまでは言えない浅い話

せっかくnoteのアカウントを作ったのに放置しっぱなしもアレなんで、何かちょっと軽く書こうかと思った次第。

そこでドルオタである自分が、現在通っているアイドル現場のひとつである(DDなんで通ってる現場いくつもある)姫事絶対値のことについて語りたいと思います。そのアイドル自体について語るとなると、記事を読んでもらえる人が限定されてしまいそうだが、とある曲についての背景を勝手に想像するエッセイの様なものなので気軽に読んでいただけると嬉しいです。

それではいってみましょう。

姫事絶対値の『浅茅が宿』

姫事絶対値に(自分の意志で)通い出してようやく1年ちょっと経った。ワンマンや推しの生誕も経験したし、そろそろ一端のオタク面させてもらおうかと思う(とかいってたまにしか行かないので、オタクにはそんなに認知されてないだろうけど)

姫事絶対値の現場に通っていて、好きな曲、いい曲とはまた違った、なんとなく少し引っかかった曲がある。それは『浅茅が宿』という曲だ。
曲としてはEDM…ということですが、楽曲的について詳しく語れるほど音楽的な知識はないので、潔くそっちからのアプローチはしません。てかできません。主に歌詞とかの内容について取り上げさせていただきます。

メンバーの「浅茅が宿!」という凛としたひと声から始まるこの曲、独特の雰囲気とサビの疾走感が気持ちのいい曲だが、その歌詞の内容、世界観に引っかかるものがあった。姫事絶対値は今を生きる女の子のリアルな感情を歌った楽曲がメインというか……こういうありきたりな言葉にしちゃうと陳腐になってしまい大変申し訳ないんですけど……だからつまり、姫事絶対値のライブで初めて『浅茅が宿』を聴いた時、突然時代がかった歌詞が出てきて、ちょっと面食らった、というのが単なる話の始まりです(まあ『sati』という曲も同じような位置づけである気がしますが、とりあえずスルーさせてくださいw)

この曲が発表されたのは2021年7月。DDだから姫事絶対値の存在、グループの概要はその当時からある程度認識していたつもりですが、やはり現場にいなければわからないことばかり。発表当時、この曲に対するライナーノート的なコメントはあったのでしょうか。

実は過去ブログもひと通りチェックしたし、一部メンバーにはこの曲についての聞き取り調査も行ないました。君遠ミテルさんとは『幽☆遊☆白書』の話をして終わった…飛影カッコイイよね。
まあ結局これといって曲の内容自体についての説明はなかったらしい。ただ運営、および楽曲の作成者である長谷川大地 氏が「歌詞の説明はしたくない。聴いてくれた人の感じた解釈が正解」みたいなことを過去に言っていた気がするので、せっかくだから好き勝手に書かせていただこうかと思います。

基本的には軽めのエッセイ、読み物です。『浅茅が宿』だけに底の浅い読み物とでも言っておきましょうか……ここ上手いこと言ったつもりだから! 笑って! じゃないと後で笑うトコないよ!

『雨月物語』の『浅茅が宿』

まず『浅茅が宿』の意味ですが、

茅=チガヤ(千萱、茅、白茅)

単子葉植物イネ科チガヤ属の植物であり、野原や道端、日当たりのよい空き地の一面に生えるような、広い地域に分布している雑草。

浅茅=まばらに生えた、丈の低いチガヤ。

おそらく多くの人が生まれてから目にはしているものの、特に印象には残っていないであろう茅、およびその風景。しかし文学作品において浅茅は、荒涼とした風景を表す象徴として描かれることが多い…らしい。特に平安時代では恋人の心変わりを浅茅の色変わりに喩えるようになったという。

「思ふより いかにせよとか秋風に なびく浅茅の色ことになる」
(意訳:これほどあなたのことを思っているのに、他にどうしろというのでしょう。秋風になびく浅茅の色が変わるように、あなたの心も飽きて心変わりしてしまう)

これは平安時代に編纂された勅撰和歌集、『古今和歌集』に収録されている詠み人知らずの句である。「秋」は「飽き」、「浅茅」は愛情が「浅し」、変色が心変わりの意味だという……日本文学って難しいけど素晴らしいね!

つまりは「浅茅が宿」=「周囲に浅茅が生えているような荒れ果てた家」を示す。

そして姫事絶対値の『浅茅が宿』歌詞を見ればわかる通り、この曲でモチーフとしているのは『雨月物語』に収録されている『浅茅が宿』のことである。

『雨月物語』は江戸時代後期(成立の年については諸説あり)に、上田秋成によって著わされた怪異小説集である。今風の言葉で言えばジャパニーズゴシックホラーアンソロジーとでも言えばよろしいでしょうか。

『雨月物語』に収録されている『浅茅が宿』を簡潔に要約すると、商売で成功した男が、故郷に残してきた妻のもとに帰り久しぶりに再会するが、夜が明けると妻は既に死んでおり、会ったのは幽霊だった――というお話です。

今となってはありがちなこのシチュエーション、オリジナルの『浅茅が宿』自体に触れたことがなくても、何かのお話で一度ぐらいは見覚え・聞き覚えがあるのではないでしょうか。現代においても様々な映画やドラマの原案、オマージュとして使用されるエピソードであり、もはや古典文学の名作である。

姫事絶対値『浅茅が宿』の曲が持つ意味

そしてアイドル・姫事絶対値の楽曲としての『浅茅が宿』も、ほぼこの内容をなぞった歌詞となっている。さて、一体何故このお話をモチーフとした曲を作ったのであろうか。

次に記載する句は、『雨月物語』の『浅茅が宿』の登場人物である残された妻・宮木が詠んだ辞世の句である。

「さりともと思う心にはかられて 世にも今日まで生ける命か」
(意訳:夫は帰らなかった。いつかは帰ってくるだろうという心にだまされ、今日まで生き延びた我が身がいとおしい)

夫が帰ってこないことへの失望、恨めしさ、切なさ。そしてもう一度会いたいという気持ちが伝わってくる辞世の句である。……うぅ、なぜかドルオタとしてはかなり心が痛む句はである。それはかつて通っていた現場、一時は推していた推しメンの姿をだぶらせているからだろうか。

ハッ! とするともしやこの曲は、「推しは推せる時に推せ」という言葉を曲にしたモノなのではないだろうか!?(突然の飛躍)

アイドルの楽曲において、アイドルとオタクの関係性を歌っているものは少なくない。姫事絶対値のこの『浅茅が宿』も、そういった意味が内包されているのかもしれない。これを読んだ人は、それぞれ通ってきた現場のことを思い起こしてほしい(結局この記事を読むのがドルオタのみを想定してて書かれていてなんか申し訳ない)。

アイドルとオタクの関係性

AKBの「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーが浸透して以来、様々な特徴・形態を謳ったアイドルが現れたが、さすがにアイドルの方から会いに行くことはできない。※

 ※なんとなく調べてみたら、AKBのチーム8が「会いに行くアイドル」みたいなコンセプトを後年掲げていたらしいですね。自分はAKBは通ってきてないので、ちゃんと機能していたのかどうかは知りません

つまりはさらに言えば、時々アイドルが口にする「私たちは会いに行きたくても行けないんだから、みんなが来てくれるのを待つことしかできない」なんていう言葉を曲にしたものかもしれない。

そうはいっても、稀にこの言葉を言っていたアイドルが繋がり解雇されたりすると、「しっかり会いに行ってるじゃねーか!」とツッコミたくなりますよね。ね!

そもそも「推しは推せる時に推せ」という言葉は、何かやんごとない切ない経験をした人が言えるセリフであって、それをたいした努力もしないで単なる使い勝手のいい営業の言葉として使ってるアイドルを見るとかなりイラッとするんですよ。べ、別に個人的な恨みはないです!

「君のライブアイドル」をキャッチコピーとして掲げている姫事絶対値。6年間という活動期間を考えると、一時は足繁く通っていても、今では疎遠になってしまったオタクも沢山いたりするのでしょう。そういった6年間という……うーん、6年間かぁ。きっと自分はこれからゆうらちゃん(推しメン)を好きになれば好きになるほど、もはや窺い知ることのできない過去5年間を思って病んでしまうかもしれない……まさに行くも地獄、行かぬも地獄!(メンヘラか) しかも既にこれをゆうらちゃん本人に伝えているというから面倒くさいオタクだよね!(厄介なメンヘラか) いやいや、でも迷惑かからないように半分はネタだから!(半分は本気なのか) まあでも、無駄に長くオタクやってると比較的早い段階で気になるグループを見つけ、自然と推しメンの古参になってることが多いので、こういった歯痒い感覚も味わうのも久しぶりで悪くはないのかもしれないね(ポジティブなメンヘラか)

おっと……取り乱した上に壮絶に脱線してしまいましたが、話を本筋に戻すと『浅茅が宿』とはそういったアイドルとオタクの関係、アイドルがオタクを待っているという歌なのかもしれない。あるいは古い時代の怪異も、姫事絶対値というフィルターを通せば、単なるメンヘラの1エピソードということなのかもしれない……(身も蓋もないけど座りのいいオチではある)

最後に

つまり何が言いたいのかというと、5月5日に6周年記念ワンマン、そして7月にはZepp Shinjukuでのチケット代100円ワンマンを控えている姫事絶対値。しばらく家を留守にしている(現場を疎遠にしている)オタクは、一度戻ってみてはどうだろうか、という話です(突然の宣伝)。


また、姫事絶対値のオタクじゃなくても、このnoteを読んでくれたドルオタは、かつて推していたグループ・推しメンが今もまだ活動しているのなら、久しぶりに顔を出してみるのもいいんじゃないでしょうか。何か新しい展開・発見があるかもしれませんよ。推しメンがずっとあなたのことを待っているかもしれません(とかいって認知が切れていたとしても責任は持てないw)

(おわり)

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