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フランス人は、なぜ? 「精神の生態学へ」

フランス人が話すとき、腕をたくさん動かすことを不思議に思う娘。

腕の動きで伝えようとする。

腕が言葉のようなツールなんだ。

父は問う。

おまえはニコニコしながらしゃべったり、時に足を踏みならしたりするだろう?

スマイルをやめられるかい?

やめられない仕草。

習慣は第二の天性だから、その人と共にいつもあるもの。

フランス人が腕を振ってしゃべっているのは、バカげていて、エキサイトしているのかな?

いいや、腕を動かしたい気持ちになっているんだ。

言葉を身につけるように、生まれたときから染まってきた仕草。

フランス人の腕が急に止まったら……?

あれ? おかしいな、と思うだろう。

父は問う。

気にさわること言っちゃったかな〜

本当に怒ったのかもしれない。

腕の動きは、言葉のように饒舌なんだ。


人は、何を伝えあっているのか?

どんな情報を交換しているのか?

どんな種類の情報を交換しているのか?

相手の話をよく聞こうとするとき、情報の交換以上に細かな情報を伝えることもできる。

話すことが、ただ仲良くする以上のことになる。

情報の交換だけでなく、新しい発見もある。

コミュニケーションは深い。

表と裏。

多重構造の幾重にも重なる情報の奥の情報。

言語と非言語。

心と心の交流は、ただの情報よりも深いお互いの無意識の交流。


怒ってない、と口で言っても、腕の動きがパタリと止んだら、何かおかしいな、と思う。

ニコニコ笑っていても、それが笑ってるフリかもしれない。

言葉では足りない。

口調や身ぶりは、言葉以上のものを伝える。

書いた言葉にだって、リズムや響きがある。

言葉より先にできたもの。

動物は口調と身ぶりとジェスチャーで会話する。

構文も文法も、コミュニケーションの歴史から見たら、ずっと、ずっと、後にできたもの。

言葉だけでコミュニケーションは完結しない。

言葉は、身ぶりのシステムの中にある。

言葉はほんの一部なんだ。

口調も身ぶりもジェスチャーも含めてコミュニケーション。

伝えること、伝わることは、言葉よりも深い。






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