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共感の光を返す俳句たち:金子敦句集『シーグラス』

ゆく夏の光閉ぢ込めシーグラス

表題句の「シーグラス」。
恥ずかしながら私は本句集と出会うまで、
この言葉と存在を知らなかった。
Wikipediaによれば、以下のとおり。

「シーグラス(英: sea glass)もしくは
ビーチグラス(英: beach glass)とは、
海岸や大きな湖の湖畔で見付かる
ガラス片のことである。
波に揉まれて角の取れた小片となり、
曇りガラスのような風合いを呈する。」

読み終えた今、まさに本句集のイメージぴったりの
タイトルだと思う。
俳句作家・金子敦の目を通して
作品に映し出される「世界」。
それは波ならぬ時間や感情に濾過され、
いつしか金子氏独自のまどかで清らかな風合いを
醸す「もう一つの世界」として読者の眼前に広がる。
その世界は読者にとってどれも懐かしく、親しみやすいものばかり。

感銘句を一章ごとに一句ずつ。
とてもいい句集なので本当はたくさん挙げたいのですが、
ぜひ直接読んでいただきたく。

長き詩の最終行に雪が降る
赤ん坊の涎の光る祭かな
流星や分数にある水平線
雪だるまの頭に薄く積もる雪
満面に笑みをたたへて捨て案山子

俳句は写実を基本とし、自分が見つけた世界を
自分の言葉と捉まえた季語で再構築する表現の結晶、
というのが私の考えだ。
だれしもが十七音に季語と言葉で
自分の、自分だけの世界と言葉を描こうとする。
一定程度のレベルまでは、大体の人がそれができる。
でも、ある一線以上の表現を目指した時、
どうしても「超えられない壁」というものが存在する。
それは季語への感応力だったり、形式全体へのセンスだったり、
季語と言葉とのセッションをする際の息遣いだったり。
作家の数だけ、壁を越えた先に広がる世界はあって、
それが作家性とか個性などに繋がっていくのだろう。

金子氏の作家性や個性を考えた時に
私の脳裏に浮かぶのは「共感力」という言葉だ。
もちろんそれ以外にも、卓越した季語の把握、
誰もがわかる言葉を使いながら「そういう使い方があったか!」と
びっくりする言葉のマジックなど挙げればキリがない。
でも、他者への、世界への共感。
金子氏の作品を読んでいると圧倒的にこれが強く感じられ、
だからこそこれほど質が高い作品を一冊に纏めることでき、
かつ多くの人の支持を得ることができるのだ、と思わざるを得ない。

共感できるということは自分の心が豊かになる反面、
我がことのように他の人や世界の傷みを感じてしまい、
辛くなってしまうこともおそらくあるのではなかろうか。
時として、世界が怖くなってしまうことも
あるのではないだろうか。

でも、金子氏はその共感力を「俳句」という表現行為に
生かす道を選択した。
十代の決意は現在に至るまで凛と貫かれ、
詩の魂の結晶化は句集ごとに鋭くなっている。

選んだ五句を見ていくと、たとえば
長き詩の最終行に雪が降る
「最終行」「雪」。詩から現実に戻った読者の心の
静けさの深さはいかばかりか。そして作者の胸の裡は。


赤ん坊の涎の光る祭かな
こういうところに着眼した祭の句はあるのだろうか。
意表を突きながら、赤ん坊の未来への生命力が
祭のエナジーと豊かに眩しく交響する。


流星や分数にある水平線
二句一章は、割とつくりやすいといわれる。
でも、本当に「はっ」とする二句一章は意外と少ない
(たいがい季語がオチになっていたり、理由づけになっているものが少なくない)。でも、掲句は上五の季語で大きく切って、下五に「水平線」と言われてみれば当然だけど、喩えとしては思いつかない語を持ってきて静かに、でもかなり驚かされた。
シンプルだからこそ、ごまかしのきかない構成。
高度なテクニックと繊細な感性がなければ成立しない十七音。

雪だるまの頭に薄く積もる雪
満面に笑みをたたへて捨て案山子
掲句二句以外もそうなのだが、金子氏の俳句を読むと
ときおり「ああ、この人は自分が独り、と思う瞬間があって、
その寂しさや辛さをよく知っているのだな」と思う。

もちろん、大体がやさしく明るいパステルカラーのような美しい作品で、
読者の心を和やかにしてくれる。
ただ、たまに覗く「独り」の横顔が捨案山子や雪だるまなどに重なり、
ここでもやはり氏の共感力が十七音の中の季語と言葉の独自性を高め、
誰にもつくれない作品を生み出す源泉になっているのではないかと思う。

他の方も言及されている猫のキュートな俳句作品は
愛猫家でもある氏ならではの独壇場。
でも、犬についての愛らしい句もあって嬉しく感じた。
また「スイーツ」句も健在だが、
今回はサンドイッチやどぶろく、はんぺん、ワイン(ラストのホットワインの句はしみじみ素晴らしい! 思わず乾杯したくなる)などの
飲食も豊富に登場し、命や生活に直結する「食」が
ますます彩り豊かに展開されている。

私のカルチャースクール俳句講座の生徒さんたちに以前、前句集『音符』を紹介したときに、とても評判がよかった。
その日のうちに句集をネット購入した人たちもいた。
「この句、わかる。好き!」
「こういうことを私も詠みたい」
明るい声がクラス内に響いた。

最近、敦さんの作品が教科書に掲載されたと聞いて、
あの日の生徒さんたちの声を思い出した。

俳句をやっている人も、初心者の人も
同じ感想と感動をもつことのできる俳句作家。

俳句作家・金子敦の稀有の魅力は
そこにこそあるといえるだろう。

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