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世界は“All or Nothing”でなくていい:第十回百年俳句賞

本年の最優秀賞は
「脱ぎ捨てて」箱森裕美氏

全応募作品は下記HPで閲覧できます(氏はNo.40)
https://www.marukobo.com/50ku/oubo.html

同じ結社・炎環の箱森氏。
おめでとう! なんだけど
それ以上に「埼玉文学賞」から間を置かず
2つめの受賞。す、すごすぎる(^^;
年末に見事な言葉の大花火☆

受賞作品から感銘句を中心に。

 既に百年の昼寝となりにけり

本作品ラストのこの句を
別の機会に眼にしたとき
迷わず選んだ。
G・マルケスの「百年の孤独」の
イメージが浮かんだとともに,
それまでのすべての作品が
「ドロン」と消えてしまうような
不思議な幻想性に満ちた世界に魅了された。

今回この句をラストに据えたのが
まず成功ポイントの一つだったと私見ながら。

 真鰯は光の束や切り開く
 秋澄みて昔の写真よく燃える
 剥くときの桃の小さき呼吸かな

導入三句。
一句目、実景と経験に基づきつつ
「光の束や」という独自の把握と
切れ字の効果的な使用により
表現に捻りが加えられている。
静かな個性の出現。

二句目。前半の清澄さが後半で黒々と変調。
ドラマの予兆。

三句目。「小さき呼吸かな」の絶妙な措辞。
質感とともに作者自身の息遣いも
作品の背後から漂う。

「なんだか生々しさを伴った
 ヒトの世界を扱った作品群のようだ」

この三句から50句全体の世界観が
透かし見えてくる。

 マネキンのあれは左手冬の浜
 歯車が春を冷やしてをりにけり
 また出会ふ別の花吹雪のなかで
 指は三つ編みを続ける立夏かな

現在の生活。懐かしい学校時代の日々。
時間と空間が50句の中で
自在に交錯している。
高い技術に支えられた句は、
いずれも揺るがぬつくり。
しかし、その内部に違和感のある
言葉の挿入や語順変更が
しばしばなされており
表現上の危うさは
絶えず読者の前に存在する。
その揺らめきの繰り返しが
最後まで読者を引っ張っていく。

 ぬひぐるみまとめて縛る夏野かな
 嘘つくは楽し白玉よく冷えし

少女の残酷さ。大人の悪意。
自分が「自分以外」の者になれぬ
苦しさを今日も続けていくのが
「生きる」ということなのだ、と
自分に言い聞かせながら。
それでも「私の世界を!」
叫びのような泣き声のような言葉を
17音に落とし込んで。

 うすばかげろふアパートに集ふ靴

束の間、他者とともに共有する時すら
それは果たして現実だったのか。
昼寝の見せた夢ではないか。

 ただ月の白さ言ひ交はしてゐたり
 蝉鳴いて全山深く暮れゆけり

意思ある表現のうちに
ときどき挿入された正調な句群も魅力的。
50句を要所要所で締めるとともに
作者の句幅の広さと技術の高さを
さりげなく提示する役割を果たしている。

 雷となりひるなかを睦み合ふ

雷は「神鳴」でもある。
神様の目を盗んで貪る肉と心の熱さ、虚しさ。

 道着脱ぎ捨てて飛び込むプールかな

表題句。
健康的な青春性を感じさせつつ
タイトルともなった「脱ぎ捨てて」に
脱ぎ捨てなくてはここまで来られなかった
作者=「私」が覗く。
大きな音を立てて飛び込んだ
騒がしい太陽の下の水中ですら、
やっぱり「私たち」は「一人ひとり」なのだ。
表面上は明るい顔を崩さなくとも。

世界と自分とのズレ。
それを埋めたくて仕方ない。
そんな思いが作品群から伝わってくる。
ただ、(埼玉文学賞も含めて)
昨年までの氏の作品と違うのが
その主張が少しトーンダウンした点だ。
それゆえに作品には客観性と奥行きが生まれ、
完成度が増し、読者の共感をより呼ぶ
作品となったのではないか。

そして、そんな句姿には
本人も意図していない意識の変化が
潜んでいるのかもしれない。

これまでは「All or Nothing」だった世界。
世界は私のもの、あるいは敵対するもの。
そのどちらか。

それが、傷つきながら俳句をつくっているうちに
いつしか「私と世界にズレがあってもいい」と
どこかで作者自身が許容できるように
なってきているのではないか。

作品は時に本人そのものよりも
雄弁にその人を物語る。
そうであるなら、箱森氏「自身」の
幅の広がりと意識の変容が今回の受賞に寄与しているともいえるだろう。

特異な状況の2020年。
その中で、自力で結果を掴み取られた氏に
ただ脱帽である。

本当におめでとう☆
これからは着いてくからよろしくね~w

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