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鼠がジェイズ・バーの前にあるガードレールに腰かけて読んでいた本/カザンザキス

(敬称略)

ボブ・ディランは
自分の書いた歌詞に
「秘められた何か」を探そうと
一生懸命になっているものを
からかい嘲笑うために
わざと
意味ありげな固有名詞とかを
散りばめていたらしいと
聞いたことがあります。

もちろん
ディランが
適当に選んだ言葉であっても
深層意識的に
実は
意味があるものであるという
可能性もあるのでしょうが。

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村上春樹もディランと同じようなことを
作品の中でしているのかもしれません。

そして
それを
謎解こうとするひとも
ボブ・ディランと同様に
いるわけですね。

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そんな仕掛け
鼠三部作では
白眉は
やはりこれでしょう。

鼠が
ジェイズ・バーの前にある
ガードレールに腰かけて
読んでいた本。

カザンザキスの
「再び十字架にかけられたキリスト」。

これ
「風の歌を聴け」が発表された頃には
和訳されたものは
(たしか)
無かったと思います。

人待ちの
時間つぶしに向いているかどうかは
別問題として
日常会話に
マタイ伝を引用するような人間であれば
読んでいても
それほど不思議ではないですが。

さて
鼠は何語で読んでいたのでしょう?

原書(ギリシャ語)ということは
ありそうもないので
おそらく英訳でしょうね。

(1970年なら
英訳が出ていたでしょうから。)

これは
鼠が「キリスト者」であることを
表しているのだという指摘は
頷けるものです。

「羊」のエンディングで
鼠がとった行動は
まさしく
キリストが十字架によって
背負ったものと
重なると思うのです。

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わたしは
英訳で理解できるような
語学力がないもので
ずっと後に
児玉操の和訳で読みました。

同じ頃
正法眼蔵を読んでいたので
使徒と仏像が
くんずほぐれつする
「百億の昼と千億の夜」みたいな
夢をみてうなされた記憶が
あります。








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