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【小説】その1

夜10時半。私は自分の家の鍵を扉に差し込んで、鍵が開いてることに気がついた。また来てるのか…、わたしは少し躊躇ってから扉を開ける。
「ただいまー…」
「おかえりぃ〜」
 奥のリビングからてとてと歩いてきた幼馴染、オベロンという名の酔っぱらいが一升瓶を抱えて歩いてくる。異常にアルコール臭い。
「ねぇ〜帰ってくるのおそい…」
「来てるなら一言メッセージくれれば助かるのになぁ…鍵開いてるといつもびっくりするんだよね。」
 これから始まるであろう空騒ぎへの嘆きと共に靴を脱いで、コートをかけてから私は洗面所に向かう。オベロンは私のあとを着いてきながら、回っていないろれつで話し始めた。挙げ句私の肩に頭を乗せて泣き始めるので、一体どうしたものかと思った。
「それでさぁ〜仕事押し付けてくんの…どう思う立香ぁ?」
「だから転職したらっていつも言ってるじゃん…」
 いつもの愚痴だ…、と思いながらリビングに向かうと、テーブルの上にカセットコンロにかけられた鍋が湯気を立てていた。美味しそうだ。
「あれ、オベロンもしかして作ってくれてたの?」
 オベロンは泣いていた顔をどこかへやって、ふふん、と誇らしげに言う。本当に切替の早い男だ。
「きみは料理できないからねぇ。今日は寒かったし鍋くらい作っておこうと思って」
「おいしそう…」
 一升瓶を脇においたオベロンは、食器棚から茶碗を取り出してご飯をよそい始める。酔っ払っているのにお茶碗を落としたりしないあたり、罪づくりな人だなぁと思うのだ。
「あ、そうだ洗濯物」
 洗濯物を外に干したままだったことを思い出してベランダを覗くと、物干し竿には何も掛かっていなかった。
「洗濯物なら畳んで収納に入れといたよ」
 後ろからオベロンの声が聞こえる。
「……うん?」
「え、全部畳んどいたけど駄目だった?」
 お茶碗をテーブルに並べながらオベロンは言う。キッチンに置いたままの一升瓶を忘れずに回収しに向かったオベロンは、再びそれを喉に流し込む。完全に出来上がっていた。
「いや、そんなことないよ。ありがとう。」
 若干の引っ掛かりを覚えたが、喉に刺さった小骨のような問題だ。疲労困憊のわたしは指摘する気力などなかった。
 テーブルについて、いただきます、と言ってから鍋から具材を取り出す。今更だが、夕食の用意や洗濯物の片付けだけでなく暖房も付けられていて、部屋はとても暖かかった。
 どうやら酒を飲んで愚痴を言いに来ただけではないらしい。
 私の幼馴染のオベロンは、それはそれはもう麗しい見た目のおかげで幸運2倍、厄2倍の大変な人生を送っていた。もうお酒を飲める上に働いている年齢だというのに、さらさらの髪は変わらずにつやつやだし、声も落ち着いた色を持っていて魅力的だ。
 まぁ一つ欠点を挙げるとすれば、ことあるごとに私の家に押しかけてきては深酒をして、ぐでんぐでんに酔っ払いながら愚痴をこぼすことだった。さらに本人はそれを全く覚えていないので本当に始末が悪い。毎朝昨日何があったのか説明するのも最初のうちは懇切丁寧に行っていたが、だんだん面倒になって今では「また押しかけてきて酒のんで寝てたよ」の一言で済ませてしまっている。
「でさぁ〜…おい立香聞いてる?」
 全く聞いていない。どうせ自分を取り合いする女の子たちが争い始めて面倒くさいとか、そんなとこだろう。
「挙げ句誰がクリスマス一緒に過ごすかとか言って競っちゃってんの。ウケるよねぇ〜」
 ほらやっぱり。
「何がクリスマスだよ馬鹿らしい。こっちは君らなんか一切興味ないってわかんないかな?」
 オベロンは再び一升瓶を煽る。彼が酒とともに愚痴をこぼすときはだいたい、自分を追いかけ回す女の子にうんざりしている話か、そのせいで回らなくなった仕事を自分に大量に回してきて理不尽だとか、それなのに好きな人は一切振り向いてくれないとかそんな話なのだ。
「だったら思わせぶりな態度やめればいいのに…」
 オベロンはダンッと音を立てて一升瓶を置く。
「なんッにも思わせてない!あっちが勝手に期待するだけだし!」
「びっくりするからいきなり叫ばないでよ、近所迷惑」
「もうやらぁ〜………」
 いつもこのループである。鍋と暖房の恩が無ければとっくに追い出していた。
「早いこと転職したら?そのうち『社内不和の元凶』とか言って減給されるかもよ?」
 オベロンは割と仕事をテキパキとこなすタイプなので、特段いまの会社にこだわる必要性を私は感じなかった。まぁ彼から言わせてみれば…
「絶対辞めない」
 の一点張りなのだが。だったら毎回愚痴る前に一言メッセージを入れるくらいしてほしい。
「なに、まだデートに誘えてないの?」
 オベロンにはどうやら会社に気になる女性がいるらしいのだ。学生だったときも誰とも恋愛関係を持とうとしなかったオベロンにとっては、それはもう目まぐるしくて楽しくて辛い日々なのだろう。
「………ぐすん」
 この調子である。もう大人なんだからそんな情けない泣き方をするな、と言いそうになる。
 普段は完璧を装う完璧主義者なのに、酒が入れば途端にこれである。いつも飲み会とかどうしてるんだろう、と私は毎回不思議になるのだ。
 ため息をついてお水を取りに行く。
「そんな飲み方してたら体壊すよ。ほらお水飲んで。」
 コップを手渡すと、オベロンはそれを一気に飲み干した。そろそろ膀胱が破裂するんじゃないだろうかと不安になる。
「う…といれ……。」
 ほんと、この男は…。この男に関することなら未来予知も容易いくらい、いつも同じパターンなのだ。
 フラフラしながらトイレへ向かうオベロンを見送って、私は着替えるために自室へ向かった。
 収納に入れたと言っていた服はきちんと畳まれて、ベッドの上に置いてある。既に酔ってたんだろうな、と私は思った。
 オベロンが押しかけてくるのは決まって休日の前である。そして私の帰りが遅いときはこうやって私がやるべき家のことをやってくれていたりする。彼なりの誠意だろう、と私は素直に受け取ることにしているのだが。
「さすがになぁ…」
 幼馴染だろうが酔っ払っていようがなんだろうが、流石に下着を見られるのにいい気分はしない。下着は室内干ししていたはずなのに、それもご丁寧に畳んで他の洗濯物の上に置かれている。まあ結局考え方の違いだろうし、今言ったって覚えてないだろうし、まぁいいや、と私は考える。
 リビングに戻ると、オベロンは座りながらペットボトルの蓋を指先で転がしていた。なかなか見ないパターンだ。
「きみは今日も残業させられてたの?ご愁傷さまだねぇー」
「年末だから早く帰ってこれたほうだよ」
 はんっ、とオベロンは鼻を鳴らす。
「立香のほうが転職するべきだと思うけど?」
 少しは酔いがさめたようだ。相変わらず顔は赤く目はとろんとしたままだが、ろれつは少し回るようになっていた。
「家から近いしなー…」
 そんなの引っ越せばいいだろ、とオベロンは言う。
「引っ越し面倒くさいしやりたくないんだよね…。会社探して部屋も探すなんて両立できない。」
「荷物少ないんだからあっという間じゃないの?」
 それはそうだけど、と私は答える。
「私が例えば遠い場所で暮らすことになったとして、こうやって押しかける相手にきみ、当てはあるの?」
「あるさ!失礼だな!」
「まあそうだよねー」
 彼が「当てがない」ことに困るような事態は発生しないだろう。今までも、これからも。
 これは当然のことだが、私はオベロンのすべてを知っているわけではない。会社だって別だし、こうやって押しかけてくること以外は接点なんてまるで無い。彼の日常には彼が築いてきた交友関係が広がっているだろう。
「で、好きな子にはいつ声をかけられるの?早くしないとクリスマス来ちゃうよ?」
 オベロンはペットボトルの蓋を転がすのをやめて、水を飲み干す。その水分は一体どこへ消えているのだろう。その髪にすべて吸収されているのだろうか。羨ましいことだ。
俺より大事なことなんてあるはずないだろ。
 ブッダもびっくりの俺様発言である。この男はたまに驚くような「世界の中心は俺です」発言をするから、度肝を抜かされる。そして割と現実だから、何も言えない。
「だったらさっさと誘えばいいのに…。」
 何をうじうじ迷っているのだろう。結局誘えなかった、と泣きながら泥酔するオベロンの相手をすることになるのは私かもしれないのに。今年は珍しく休みをもらえたし、クリスマスくらい静かに過ごしたい。
 大多数の女の子は、オベロンのような人にデートに誘われればそれはもう有頂天になるだろう。喜んで準備をして、最高の自分をオベロンに見てもらいたいと張り切るに違いないのに。誘うなら早くしてあげないと、予約とか取れないし準備期間が短くなってかわいそうだ、と思った。
「早いほうがいいと思うよ?他の人から誘われたりするかもしれないしさ。」
それはない
 他人のことなのにはっきりきっぱりと言い切るから、きみが失礼だよその人に謝れ、と突っ込みそうになる。
 オベロンの想い人がどんな女性だとか、そんな話には興味がないし、どんなに泥酔していてもそれは一切言わないから、いっそ妄想なのでは?と最近の私は思い始めていた。妄想なら他の誰かに誘われることもないだろう。我ながら名推理だ。
「きみ失礼なこと考えてるだろ。」
 オベロンがじとっとした目で私を見ている。
「全部口に出てた」
 オベロンは不機嫌そうに口を尖らせる。一つ上のはずの男が子供のように振る舞っている。成人男性が口を尖らせるな、と言いそうになってやめる。
 今の私は少し機嫌が悪いようだ。そういえば、丸1日休んだのはいつだっただろう。勤続日数はぎりぎり3週間に届いていなかったが、仕事で疲れているんだ、きっと。
「食べ終わったしお風呂入れてくる。食器はそのままで大丈夫だからゆっくりしてて。あ、お酒はもうだめだよ?」
 そう言って私は席を立った。オベロンの言うこと為すことに腹が立って喧嘩になってしまう前に、ちょっと距離をおいたほうがいい。

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