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「当たり前」を見直す

誰が名付けたのか「ゴールデンウィーク」黄金週間(笑)
今年は全国的に「ステイホームウィーク」になった。

不思議なものだ。
思えば息子がサッカーをはじめて以来ずっと、この期間は練習試合や大会で毎日あちこちに出かけていて、一日中家に居られる日など無かった。
Google Photoには「この日の思い出」というのが毎日のように表示される。
ああ、2年前は大会でここにいたなぁ、3年前はこんな所まで遠征したっけ。束の間眼を閉じると、あの日の日射しやワイワイと騒がしい子供達の声が蘇ってきて、ひとときその喧騒に浸る。でも眼を開けるとそこは家の中。休日に家にいて、ただただ静かな空間がそこにあるのだ。

先日の記事に、コロナ発生前の忙しい日々が愛おしい、と書いた。そしてそれは今でも何ら変わりない。 息子は学校へ行き、私は仕事へ行き、週末は例外なくサッカーに明け暮れ…のあの日々である。

ジュニア最終学年の息子が参加するはずだったリーグ戦も大会も、軒並み延期や中止になった。サッカー界どころか社会全体地球全体が以前とは違うのだからして、小学生の息子とのあのサッカー漬けの日々は同じ形ではもうおそらく戻ってこない。来年ジュニアユースに進んだら、行き帰りも試合会場へも全て自分達で仲間と連れ立って行くだろう。当分、ではなく二度と戻ってこないことがわかるだけに、愛おしさは更に募る。
あの慌しかった「当たり前」の日々。

そしてこのステイホームウィーク中私はどうしていたかと言うと

朝10時過ぎまで寝ていたり、
一日中ガウン(部屋着と言っておこう)で過ごしたり、
漫画を一気に何冊も読んだり、
1日中好きな音楽を流したり、
ジャムを煮てみたり(昔凝ったことがあるがずいぶんと久しぶり)
ケーキを焼いたり(こちらもここ何年かご無沙汰)
家具の配置を変えてみたり、
家族でボードゲーム(カタンってご存知?)に興じたり、といった、
何でもないけどここ何年もしていなかったことをして過ごしたのだった。
そしてその日々は身体はもちろんのこと、時間に追われないというだけで、精神的にとても楽だったのだ。

そう、ここ何年も平日は仕事でもちろん期日や時間の縛りがあり、休日も「〇時にどこに集合」という時間の縛りがあった。しかも帰りは大抵遅く、翌日の準備や家事でほんとに気を抜く間が無かった。
これ、何でもない人にはきっとなんでもなく難なく出来るのだろうと思う。
私も仕事なら何とかなる。何とかしてきた。でも、プライベートモードでの私はもともとの体内メトロノームがゆっくりで、隙間時間にさっと物事を片付けるのが苦手なのだ。何事もきっと人より時間を要する。それが解っているから、ここ何年か土日もきっと戦闘モード、仕事モードだったんだろう。そんなつもりはなかったけれど。。。
そしてそうだとしたら相当なストレスだったろう。それが何年も毎週末続いたのだから、そりゃあ円形脱毛もできるよねと、今回あらためて心から納得した。

昔から私は時間の縛りや場所の縛りが苦手で、電車で通勤していた時も経路を固定するのが嫌で定期を買わなかった。往路はまあいいとしても、復路は決めずに日によって帰り道を変えたりしていた。 知らない街を歩いたり、ふらっと何処かの店に寄ったりね。きっとそういうことで自分の中の何かをバランスしていたんだと思う。

子を産んで仕事を変えてから生活は一変したのだけれど、それは私の選んだ道でありそれはそれで充実していたし、もちろん子供はかわいいし。
深く考える暇も余裕も実を言うと無く、流れのままここまで来たのだった。それが今の私の「当たり前」で、仕方がないことだった。
子供が赤ん坊の時も、幼児の頃も、小学生になってからも、その時その時の理由がありその時の「当たり前」があった。

でも果たしてそうだろうか? それは当たり前だったのだろうか? そして今はどうだろう? 
自分もだけど、社会や政府や政治や経済の「当たり前」って?

人はあるフィールドに入ってそこに馴染んでしまうと、どうしても視野が狭くなる。サッカーで、フィールドに立ちながら俯瞰で見るのが難しいのと同じように、一度そのフィールドから出て外から観ないことには全体像が見えてこない。
みんながこれまでのフィールドから、当たり前だった世界から出ざるを得なくなっている今だからこそ、見えて来る景色がきっとあるのだろうと思う。例えば私のように、愛しい日々が実は少しずつ心身を蝕んでいたのかもしれないなぁ、とかね。

人それぞれに向き不向きがあり、個性があり、感じ方も考え方も異なる。
それぞれの「当たり前」は万人の「当たり前」では無く、
ある時代に「当たり前」と言われていることも絶対的なものでは無い。

この10日間ほどのおうち生活は、忘れていた感覚を思い出させてくれたと同時に、今までのこと、これからのこと、そして「当たり前」について考えるいい機会になった。働き方を含め、あらためて自分の状況を見直すことになった人はきっと多いんじゃないかと。
それがウィルスの意図なのかひいては大きい人(←前の記事からの引用です)の意図なのかは依然解らないけれど。
まただからといって、この状況を肯定する気には到底なれないけれど。

個人的には、以前の日々はストレスフルだったとしてもやはり愛おしい。
懐かしむ気持ちは変わらない、がしかし「〇時迄にどこどこに行かなくてはならない」が無い日も、私には必要なんだな。いわゆる『完全OFF 』 という日ね。

これから先は、仕方ない、できない、とは思わずに行こう。世の中と自身とが折り合うところを探って、心身が納得するバランスを見つけていきたい。

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