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葉桜に想う

4月に入ると途端に風邪をひいてしまい、しばらく寝込んでいた。
打ち合わせで外に出ても、とにかく精の付くものを食べて帰ろう、というモードでその店に一直線だったから、散りゆく桜を眺めている余裕などなかった。

もともと春は苦手である。
なかでも葉桜は、とくに。
朽ちていく花の終わりを待たず、その脇で瑞々しく萌える緑に、文句を言いたくなってしまう。もう少し待ってもらえないかな、あと少しであなたの出番が来るんだから。急がなくてもいいじゃない、と。

しかし昨日、ふいに見上げたその葉桜は、満開の桜と新緑が共存している珍しいもので、それを「葉桜」と称していいものかわからないけれど、とても美しかった。

鷺沢萠の『葉桜の日』という小説を思い出す。
小説の細かい内容は忘れてしまった。だから正確にはあの小説を読んだときの気持ちであり、あの頃のわたし自身だ。

富良野塾を出たばかりの、たしか23、4の頃だったと思う。
まだとても若く、意気揚々と、輝く未来を疑うことなく生きていたはずなのに、なぜかとても胸を打たれた。たまらなく、せつなかった。
この小説を書いたひととは、深いところでわかりあえるような気がして、以来ひそかに「鷺沢さんといつか友達になる」などと、まったく根拠もなく心で決めていたほどだ。

彼女の作品は18歳のデビュー作「川べりの道」から読んでいた。わたしと同年代で、年齢もひとつくらいしか変わらないのに、複雑な心の在りようを、じつにさらりと、たおやかに深く描く才能に脱帽していた。どの小説も、とくに初期の頃の作品はどれも素晴らしい。
小説と脚本は違うけれど、同じ物書きを志していたわたしは、憧れていたし、嫉妬もしていた。わたしにはこんな小説は書けないと自信を失う一方で、書いてやろうじゃないかと鼓舞し、実際に書いてみたこともある。しかしできあがった自作を読み返すと、ひしひしと自分のダメさがわかり、やはりサギサワには勝てないとまた落ち込んだ。紆余曲折ありながらも、二十代のわたしの指標は「サギサワ」だった。

そんな話を、サギサワとしてみたかった。
彼女はプロ級だったという麻雀でもしながら。

亡くなったのは、4月の中頃だったんじゃないだろうか。
ニュースで訃報を知ったとき、「葉桜の季節を選んだんだな」と真っ先に思ったから。彼女も春は苦手だったのだろう。たぶん、きっと。

結局、一度も会うことすらなく、「いつか友達に」というわたしの勝手な夢はほんとうに「夢」で終わってしまった。
けれどたまに、こんなふうに美しい葉桜を見上げると、彼女と、彼女と同じ時代を生きていたわたしを想う。

「鷺沢萠」を読み返そう。久しぶりに。
葉桜の、生命力にあふれた新緑を受け入れて。





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