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初恋は美しくほろ苦く〜東京国際映画祭・映画『ムクシン』

9日に閉幕した、第33回東京国際映画祭(TIFF)。
わたしは4Kリマスター版のマレーシア映画『ムクシン』(2006)を観た。この映画祭に足を運んだのは、ほんとうに久しぶりだった。何年ぶりだろうか。偶々その日は、夜に麻布十番で食事の約束があり、時間がぽっかり空いていた。なら映画でもと検索したら六本木で東京国際映画祭があり、夕方のいい時間に良さそうな映画がやっていた、というわけだ。

だからこの映画との出会いは、偶々、である。
「偶々(たまたま)」。漢字にするとなんだか仰々しいけれど、わたしは「たまたま」という、予測不能でなんとなく緩い感じの、くじを引くような感覚が好きだ。たとえハズレたとしても「たまたまだったから仕方ないよね」と許容できるし、映画に関しては「アタリ」とはいかなくとも、わりと高い確率で、観てよかったと思える作品に遭遇する。前評判や予備知識に左右されないのがいいのかもしれない。

上映終了後、わたしはとても幸福な気持ちで席を立った。
『ムクシン』は、文句なしの「アタリ」だった。

ムクシンの会場表

2006年の映画で、日本では観たくともなかなか観られないかもしれない。
それでも、以下は映画の内容や結末に触れるので、知りたくない方は読まないでほしい。

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主人公のオーキッドは、女の子と大人しく遊ぶより、男の子に交じってボール遊びしていたほうがいいという、活発な10才の少女だ。
夏休み。オーキッドは二つ年上の背の高い少年、ムクシンと出会う。二人はすぐに仲良くなって互いに思いを寄せていくのだが、些細な想いのすれ違いで衝突し、オーキッドはムクシンを遠ざけて――ラストはやっと彼の真意に気づいた彼女が、走って彼に会いに行くのだが――ムクシンはすでに街を出た後だった、という、ほろ苦い後悔が残る「初恋」の物語である。

ハッピーエンドではないけれど、とても幸福な気持ちにさせてくれたのは、作品全体に流れる「画の瑞々しさ」と「人の温かさ」にある。
田園の萌えるような緑と、澄んだ空の青。
その境界を行き来する、二人の白い凧。
二人乗りの自転車で駆ける小道。スコールを流れる音楽。歌。ダンス。
ひとつひとつのシーンが絵画のように美しく、しかも生き生きと躍動していた。なかでも冒頭の、オーキッドが母親と振り出した雨を歓迎しながら踊り続けるシーンは、ほんとうに美しかった。

映画館を出ると、小雨の降る中、運営スタッフが『ムクシン』帰りの客に声をかけていた。少し日を置いて、映画を観た観客だけがアクセスできるオンラインのトークサロンがあるという。なるほど、オンラインでなら、コロナ禍でも海外のゲストを呼べる。観客は、提示されたQRコードで登録し、チケット番号を入力するという仕組み。なかなかいい試みだ。

ムクシンズーム

数日後(11月6日夜)のオンライントークサロン。
マレーシアから参加したのは、オーキッドを演じたシャリファ・アルヤナ(いまはもうすっかり大人でした。当たり前だけど(笑)さん)と、母親役を演じたシャリファ・アレヤさん(アルヤナさんの実姉だった!)。
なるほど、似てるなあと思って観ていたけれど、ほんとうの姉と妹だったんだと知って驚いた。年齢差も11才しかなく、若い母親を演じることになったけれども、姉が妹の「母親役」をやることになんのためらいもなかったと話していた。ただ父親(二人の実父)だけが受け入れられず、複雑だったようだと笑いながら。

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姉も妹も、マレーシアでは有名な女優姉妹(四姉妹)らしい。
この映画にももう一人、ゲスト出演していたという。すぐにわかった。凧をくれた夫婦の奥さんだ。映画を観ていたときから、マレーシアの美人はみんな似た顔をしているのかと思っていたので、とても合点がいった。彼女(シャリファ・アマニ)は、同じ監督の『細い目』という作品に主演していたとのこと。しかも、「オーキッド」という同じ名前で。

マレーシア映画を観たのはたぶんこの作品が初めてで、まったくの無知なわたしは、二人の無邪気な笑顔が飛び交う自由なトークに「?」と「!」が満載ななか、どうやら彼女たちが「ヤスミン」と呼んでいるのは、すでに他界したマレーシア映画の母と呼ばれる、ヤスミン・アフマド監督のことで(二人とも、ヤスミンに会いたいとしんみりしていた)、監督は自身の少女時代を投影した、オーキッド三部作(『細い目』『グブラ』『ムクシン』)を撮ったのだと理解した。なかでも一番最初の『細い目』は、傑作らしい。

トーク終了後、さっそく『細い目』を調べたら、この映画は2004年に母国マレーシアのアカデミー賞を受賞、第18回東京国際映画祭でもアジア部門グランプリだった。第18回は15年前、2005年の秋。そうか、この年か・・・わたしは妙に納得した。東京国際映画祭へ行かなくなったのは、おそらくこの頃だ。仕事が猛烈に忙しかった時期で、触発される映画もあまりないように思えた。日本の作品に良い評価が集まるのもいかがなものかと思っていたし、海外の良作が乏しく感じられて、いつしかラインナップもチェックしなくなってしまった。

東京国際映画祭2020

2020年の今回、わたしはこの映画祭に足を運ぶことができて、ほんとうによかったと心から思う。コロナ禍でも開催を実現させ、オンラインを利用したティーチイン(トークサロンという名称は昭和的だけどw)の工夫など、今後の可能性にも期待を持てた。
そして何より、わたしは『ムクシン』に出会い、マレーシアの二人の女優のトークを聞き、ヤスミン監督の素晴らしさを知った。

『細い目』は、偶々「観なかった」映画なのかもしれない。そんな「たまたま」もあると思う。しかし、出会うものにはかならず出会うものだ。
『ムクシン』も2006年にこの映画祭で初上映したというが、わたしはあの頃ではなく、いま「たまたま」、観たことに意味があるような気がしてならない。クジ引きの結果も、良し悪しに関わらず「運命」なのだから。

『細い目』の、少し年上の「オーキッド」は、予告編ですでに輝いていた。
現在、DVDも配信もないようだから、すぐには観られないのが残念でならないけれども、「その日」がやってくるのを待つとしよう。
オーキッドに再会するのは、いつになるのか。偶々どこかで出会えるのか。
そんなふうに思いを馳せるのも、なんとなく楽しい。


※映画『ムクシン』の内容写真は、東京国際映画祭の公式HPからの転載。
 トークサロンのPC画面は、イベント中撮影許可が出たときの写真です。

追伸。トークでもっとも「素敵だな」と心に残った後日談がある。
『ムクシン』のハイライトは、凧に書かれたムクシンからのメッセージに気づいたオーキッドが駆けだしていく、という場面なのだが、そこにいったい何が書かれていたのか、観客には知らされないまま映画は終わる。
「いったい何が書かれていたのか?」という質問に、主演したアルヤナさんは首を振って「あれはわたしと、ムクシン役の俳優と監督、3人だけの秘密なの」と答えた。母親役だった姉は「わたしにさえ教えてくれないのよ」と茶目っ気たっぷりに妹を見つめて、その話にはそれ以上触れなかった。きっとほんとうに、三人だけの秘密なのだろう。わたしはそんな映画『ムクシン』を撮った彼女たち、そして、ヤスミン監督に敬意を表したい。
映画は、すべてを明らかにする必要などない。



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