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祖父の手伝いと僕の置かれている環境について考えて感じた感謝

今日は祖父の付き添いで病院に行ってきました。とは言え、もう今の病院はコロナ対策でガチガチなので、自分が行けるエリアなんて限られているのでは、、と思いながら行ったのですが、去年よりはまだガチガチではなかったのでホッとしました。

祖父、別にそんな大きな何かがあったわけではなく外傷ができたのでその治療に行っただけなんですけど。もう高齢のため、車の乗り降りの手伝いとして自分がかり出されたというわけです。こうして祖父の助けになることができるのはとても恵まれていることだなと思います。

まず、祖父も自分もある程度は元気でなければいけない。そして、呼ばれたときに自分の仕事に都合がつかなくてはいけない。また、祖父の近くに居住してなければいけない。さらに、自分の家庭の都合もつけなくてはいけない。自分はそのどれもクリアしているので、今日のように呼ばれたらすぐに馳せ参ずることができます。とてもラッキーです。

手伝いが終わると祖父は「ありがとう。助かった」と毎回言ってくれます。自分としてはそんな「助けた」なんて意識はサラサラないので、言われるとなんだかくすぐったくなります。当然挨拶だと分かってはいるのですが、上記のような条件を満たさないとそのような挨拶もすることができないんだなと考えると、自分が置かれている環境はとても恵まれているんだなと思うのです。

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