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川名の高校回顧録2①

やぁ、川名です。

強く歩くと書いて「強歩」っちゅう行事があってだな。

「川名の高校回顧録1」で僕が男子校出身であることを述べました。
我が母校で年に一度発生するド鬼畜省イベント、それまさに「85㎞強歩」です。記憶に新しい第3学年時を主軸に書きます。

ネーミングには何の捻りもなく、「85kmを強くたくましく歩いてね。」という趣旨のイベントです。当然、一週間のうちに85kmの道のりをちんたら歩けば良いというわけでもなく、制限時間は丸一日、厳密に言えば25時間ぽっきりです。
しかも背中には25時間の生命活動を維持できるだけの水分やら食料やら防寒具やらがどっしりとのしかかり、想像しただけで、座りたいです。
イベントの一週間前には周辺のコンビニ、スーパー、ドラッグストアから、根こそぎカレーメシが姿を消すというカレーメシショックもこれに因るものです。

「入学しただけで被害者」のスローガンを高々と掲げて午前10時、我々の両脚は可哀相に、ひっきりなしの前後運動を余儀なくされます。

時に我々は受験生、歩いている時間も勉強しなければいけません。ある者は歴代米国大統領の名前、またある者は日本の総理大臣の名前、数学の複雑な公式などを適宜紙切れにメモして、そいつを暗記し切ることをサブテーマに歩き始めます。
ちなみに僕はこの機会にパブロ・ピカソとバンコクの正式名称をチョイスしました。ギリ世界史です。

辛くなってくるのは個人的に20km地点を過ぎてからです。結構歩いたつもりがまだ65㎞もあるのかよというやるせなさと、昼飯の後の眠気で体が急激に重く感じ始めます。
やはり、生身の人間にとって85㎞は天文学的な数字なのです。
大人のミドリガメを28万3千3百匹を縦に並べた全長が丁度その距離であるとこの天文学的距離に同情いただけることでしょう。

40キロ地点を過ぎると皆、話題も尽きて無口になり始めます。片方の手に道端で拾った太めの枝を杖として携えている学生を散見できるようになるのもこの辺りです。

基本的に5㎞ほど歩いたら10分休憩を繰り返しながらゴールを目指します。
休憩の中でも長めの休憩が昼飯、夜飯、夜食、翌日朝飯の4回あります。
特に夜食の時間(午前1時頃)は至福のひとことに尽きます。
休憩地点の区画に住むママさんが一堂に会し、我が愛息子のために、温かいけんちんうどんと蕎麦をデカ鍋で振る舞ってくださいます。

僕はそんなママさん方の無償の愛を蹂躙し、できるだけ電灯の当たらない場所でマットレスを敷き満身創痍の体にサロンパスを張りまくり、リュックを枕に束の間の睡眠を貪ります。実は当時の僕は部活で坐骨神経痛を患っており、胃袋の相手よりも来る大会に備えて筋肉や関節に気を使わにゃならんのでした。 今思えば惜しいことをした気もしますが仕方ありません。

もうかれこれ開始から経っていますが、ピカソとバンコクの名前は全く覚えられません。(僕にとっては)意味のなさないカタカナの羅列を覚えるのは思いのほか難しいものです。

夜食休憩が終わり、我々は僅かな元気を取り戻して再び歩き始めます。この時点でどこにも痛みを感じていない奴がいたら大したものです。学徒たちが肩を組みながら歯を食いしばりよろよろと行列を成す光景には目も当てられません。

午前4時半ごろ、僕の坐骨神経が「相棒、もう俺ダメみたいだぜ。先に、行ってくれ…」と危篤状態を知らせてきました。
さすがに坐骨神経を置いて先には進めないので、来たる陸上人生最後の大会の兼ね合いとザコ神経の状態を顧問の先生に相談し、僕のリタイアがここで決まります。
高校最後の強歩を完歩できずに終わるのは非常に残念でした。

脱落者は順次バスで母校に隣接する寄宿舎に送還されます。
そこでは、16畳の空間いっぱいに脱落兵がお布団にくるまって死んだように寝ているのです。僕も保健室のマダムにシャワー室に促され、身を清めた後、空いているお布団にダイブしました。お布団で寝ることができるのは本当に幸せなことです、(お布団は布団じゃなくてお布団と言いたい。)

のび太も舌を巻いて逃げ出す就寝の早さで意識が飛び、気が付けば朝の8時半です。起床した次の瞬間、僕が口にした言葉は「おはよう」でも「うおお、よく寝たぜえ」でも無く、

『パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。
クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。』

でした。これは誇張でもなんでもありません。起きた次の瞬間に頭の中のカタカナの羅列がぱちぱちハマり合い、なかなか覚えられなかった二つの正式名称をついに諳んじることができました。
これはなかなかに気持ちの良いものです。
やはり、暗記には睡眠が非常に有効であることを身をもって実感しました。
「睡眠しか勝たん」の教訓を持ち、向こう一年受験勉強に臨んだ結果落ちました。

ともあれ、僕にピカソのフルネームやバンコクのフルネームを振ってくれてもすぐに返して差し上げます。
二十時間ほど歩いて得たリワードがこの微妙な特技なのは本当に微妙ですが、僕についての強歩はここで終わりです。お疲れ様でした。

ただ、僕らが寝ている間も同胞は命を燃やして歩きまくっているのです。奴らの強歩はゴールに着実に近づいています。
文章が長くなってしまったのでここで区切り、後編に続きます。

では、


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