【読書記録】新版「読み」の整理学:外山滋比古

読むという行為について深く考えたことがある人は少ないだろう.本でも何でも良い,ネット記事でも,誰かのブログでも,我々は何を持ってそこに書いてあることを理解した,読んだと認知するのだろう.

『「読み」の整理学』はこの問いに直接答えずとも多くの視点を与えてくれる.本を読んだという状態には階層があるのであろうという印象をこの本を読み進めていくうえで感じた.

この本において読むという認知作業は2つに分けられるという.アルファ読みとベータ読みと区別している.一言でそれぞれ,アルファ読みは既知を読むこと,ベータ読みは未知を読むことである.既知を読むよりも未知を読むほうが数段と難しいのは用意に想像できる.

ここで少し考える.私は本を読むということを通じて何を期待しているのか.暇つぶし?そうじゃない.新しい価値観や考え方を知りたいのだと思う.知識も欲しいとは思うけれど,それは個人的にはコスパが悪い.物覚えが良い方では無いので覚えようとしてもなかなか覚えられない.本と,あるいは間接的に著者と,壮絶なバトルを繰り広げたいのかもしれない.これはどういうことだよ!うーんなるほど?といった具合に傍から見れば一人プロレスしているような感じではあるが,考えながら理解しようとする営みが案外楽しい.わかった時の爽快感は果てしなく,他の知識や自分の経験と繋がっていく瞬間が何より充実している.そうやって分かることが増えたり,ある物事に対しての知見が増えると自分が認知できる世界の縁が少しずつ広がっていく感じがする.

そう思うと案外自分はベータ読みができているのではないかと傲慢な気持ちになる.

話を戻して,何を持って読んだという状態になるのか考えてみる.一般に読んだという状態には通読したという状態を指すことが多いと思う.頭から尻尾までを読んだという状態である.もっと悪意がある言い方をすると文字を全て追いかけた状態だろう.これはこれで悪くない.この状態に感情移入やら心情変化に気を配りながら読むと小説が読めるのだろう.この本の中でいうアルファ読みとベータ読みの混合読みだろう.

未知のものを読むとなるとかなり骨が折れる.知らない単語もあるだろうし,何をいいたいのか文脈やら文の構造やらを考えながら読み進めなければいけない.戻って確認もしなければならないだろう.これは理系の専門書を読む時に似ていると思った.自分の専門は(少しぼかして)情報通信であるが,その教科書を読むときは何度も何度もその文を繰り返し読んで,数式とにらめっこして自分で書いてみて,調べてみてということをする.もちろん英語なのでそのニュアンスがどのようなものかも辞書などで調べる.一般書と工学系の教科書も同じ未知を読むための本という点で同じであることに少し感動した.この感動は日本において理系と文系と明確に区切ってしまうことに由来するかもしれないが.

『「読み」の整理学』を読んで,私が思う「本を読んだ」状態は,「自分の言葉で何かしらその本について説明できればその本を読んだことになる」である.このくらいハードルは低くていいだろう.あまりにも高すぎると読むこ自体が嫌になってしまいそうだ.少しずつ未知を既知にしていければ読書は大成功.もっと深く読めればより良い.何回も何回も読みたいと思える本があれば良いのだが…なかなかない

一点だけ注意喚起しておくと,この本は「本が読める」特効薬ではない.本を読むには本を読むという訓練を積まないといけないと思う.自分も「本が読める」わけでは無いので多少上から目線の物言いになってしまうが,この本を読むことはその訓練の一つとして有用であるだろう.


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