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【『小鳥、来る』聖地巡礼02】電車道

 海までは坂だからどんどん速度は出た、信号で止まらないように道を渡るときは信号のないところを選んで父は道を渡った、上を電車が走るトンネルを抜けて、国道に出て、昔はここを「電車道」と呼んでいた、市電が走っていたからだ、だけど市電が走らなくなって、
「電車道」
て言わなくなって、
「国道」
と言うようになっていた、
(山下澄人『小鳥、来る』P32)

主人公の少年は、夏休みのある日、父親と釣りに行く。「はげ山の近くのエサ屋」に寄って海へ向かう。「電車道」は現在の国道2号で、昭和49年まで阪神電気鉄道国道線の路面電車が走っていた。薄汚れたベージュと赤茶色の2トーンで、緑色の神戸市電と比べると随分ボロく見えた。窓が大きいので「金魚鉢」と呼ばれていた。

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「金魚鉢」はいつもガラガラでガタゴトと左右に車体を揺らしながら、車に挟まれ、窮屈そうに走っていた。雨の日はパンタグラフから火花が散った。終点は阪神西灘駅で国道の真ん中に細いホームがあった(阪神本線の西灘駅は国道線との接続駅として1927年に開設された)。1969年までは西灘駅からさらに東へ進み、東神戸駅(現在のBBプラザの西)まで線路が延び、神戸市電脇浜線と繋がっていた。相互乗り入れが計画されていたが実現せず、年に1回神戸まつりの時だけ、電飾で彩られた神戸市電の花電車が東灘区の本山あたりまで走った。

主人公と同様、僕もこの道を「電車道」とは呼ばず「国道」あるいは「阪国(阪神国道の略)」と呼んだ。船寺の交差点には3方向にまたがる大きな歩道橋があって金魚鉢がよく見えた。僕らはこの歩道橋から国道を走る車めがけて唾を吐いた。別に気に入らないことがあったわけではなく、そういう遊びだ。

上を高速道路の走るもう一つの大きな国道に出て、それを渡ったら坂の下に海が見えた、左の遠くに製鉄所の溶鉱炉が見えて、右に石油タンクが見えた。
                    (『小鳥、来る』P32〜33)

「もう一つの大きな国道」は国道43号のことで「二国」(第二阪神国道の略)と呼んでいた。今は国道43号は「ヨンサン」で、国道2号を「ニコク」と呼ぶけど、ちょっと違和感がある。「もう一つの大きな国道」の上を高速道路が走っていることから大石の交差点であることがわかる。ここを越えると風が変わる。そして海が見える。空には夏の入道雲も。

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釣りをするのはいつもは石油タンクの向こう側だけど、その日父はそこでは止まらず、まだ自転車を走らせて、突堤の先へ向かった、大きなトラックがあちこちで走っていた、みんな仕事をしていた、何回かクラクションを鳴らされた、子どもは夏休みだったけど大人は平日だった、日曜日だったらこんなにトラックは走っていない。突堤には黄色や赤や青のコンテナがいくつもあった、キリンと呼んでいた大きなクレーンが何台もあった。
(『小鳥、来る』P33)

主人公親子は灘浜を越えて埠頭へ向かう。トラックのいない日曜日の摩耶埠頭は、近所の公園を100個合わせても足りないくらい広かった。当時は1突から4突まで4つの突堤があった。「キリンと呼んでいた大きなクレーンが何台もあった」ということなので、3突か4突へ行ったのだろう。今は突堤は埋め立てられて大きな島のようになってしまった。摩耶埠頭は風が強い。ゲイラカイトが見えなくなるくらい高く上がった。摩耶埠頭は牛の皮の匂いがする。最初はくさいなと思っていたけど、そのうちいい匂いに変わった。いや、いい匂いではない、なんだろ、忘れられない匂い。

夏休みの平日、主人公親子が「はげ山近くのエサ屋」から「埠頭」まで自転車で走った道を『小鳥、来る』の記述から推測してみた。(あくまでも想像です)いつかこの道を自転車にカメラつけて走ってみたい。

小鳥来るmap

出典:国土地理院ウェブサイト 1975/03/08(昭50)空中写真を加工


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