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ずーっとマスクしてる必要あるのか?

4月24日(金)晴れ。 風が吹くとちょっと寒い。先週よりゴミステーションのゴミが少し減ってた。今週は「寂として声なし」だった仕事場にちらほら電話。月末と年度末の断捨離など。昼の市場メシは灘中央市場T一の鶏モモの照り焼きをメインに、Tないそうざい店とF原商店の惣菜など。F原の青菜とえのきの胡麻和えは新作。

夕方、市場のT安で日曜日の夕食用の鴨ロース購入。T安の鴨ロースは金曜に入荷する。余裕ぶっこいて日曜に買いにいっても売り切れということが多々あるのだ。「飲食店、ほんま大変やね」とT安のAさん。いや、飲食店の仕入れが減ってるので市場の店も大変なはず。その辺、僕らが買い支えなあかんのやないやろかという不遜な思いで、家メシではごちそうの部類にはいる鴨ロースを買うに至った。「何すんの?鴨鍋?ごぼうのささがき入れや」。もちろん、とF原商店でゴボウのささがきと白ネギ、そして水菜購入。

水菜に関しても思い出がある。震災後、有志で冬の夜の摩耶埠頭にコタツを持って行って忘年会をやったことがある(アホ)。その時のメニューが鴨鍋。幹事だったので水道筋の市場で材料を調達、鍋をセットした瞬間、畑原東市場のY豆腐店のYさんからダメ出しがでた。「Uちん、鴨鍋は白菜やのうて水菜やろ」。もちろん、基本はネギと鴨と豆腐、それだと寂しいかもと白菜を入れてしまった。人生の師匠ともいえる市場のパイセンからダメ出しをくらい、寒風吹きすさぶ摩耶埠頭で途方にくれた事を今でも覚えている。

その後、灘中央市場のTちょうでTcさん、Okちゃん、そしてゲストのY君を呼んで水道筋の新事業関係のヒアリング。ほどなくして常連のO先生が来店。おもむろに扇子を出す。Tcも扇子を出していることが気になりつつもミーティングを進める。怪しすぎる。一段落ついてあたりを見ると、全員扇子を持っているじゃないか!といってもあおぐわけではなく扇子で口を覆っているだけ。つまりマスクしたまま飲み食いはできないのでマスクを外し、飲み食いするとき扇子で口元を覆う。その姿が雅(みやび)なことから雅呑みと言うらしい。これならいちいちマスクを外さないですむし、話すときも飛沫飛散防止にもなる。マスク外して、話したり食べるとときだけ口を覆う方が合理的。

ずーっとマスクしてる必要あるのか?と思う。なんでみんな言われるがままに(思考停止か同調圧力)真面目にずーっとマスクしてるのかと。道を一人で黙って歩いているときマスクいるか?車を一人で運転しているときマスクいるか?トイレでウンコしているときマスクいるか?ウイルスが付いた手で顔を触ったら粘膜に、とか言うんだったら鬼の面でもかぶればいい。どんなカラフルなマスクでもマスクはマスク、景色が悪い。笑っているかどうかさえ分からない。顔を隠すと心も隠れる。顔を隠して体隠さずはけっこう仮面のセリフだけど、扇子の方がずっと楽しそうだ。早速扇子をもらってやってみた。やっぱり照れ臭さの方が勝った。

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