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謎のゲーム実況研究家:ナッキー(中田朋成)の経歴

「手っ取り早く教えろ」という方のために「要点版」から書いときます。

・中学まで石川県で育ち、高校から愛知県を中心に岐阜・三重でも生活
・30代後半にとあるゲーム実況者にハマったのをきっかけに「所属団体が東京ゲームショウ出展」と「CEDEC(ゲーム業界向けの研究発表会みたいなイベント)に登壇」(テーマ:ゲーム実況の過去・現在・未来」)という謎の経歴をフリーターながら手に入れる

<参考リンク>

⇩各メディア様によるCEDEC登壇レポート⇩

【2018年】
「IGN Japan」:現在大きな価値を持つゲーム実況の歴史と、これからの未来について

【2020年】
「電ファミコゲーマー」:「ほぼ違法」から「適時適法」の時代へ。ゲーム実況の過去・現在・未来を振り返る

【2021年】
「GAME Watch」:「ゲームセンターCX」から「EIKO!GO!!」まで! ゲーム実況の歴史を紐解く
「4Gamer.net」:近年,盛り上がりを見せる"ゲーム実況"について,いちユーザーによる独自の分析をレポート
「電ファミコゲーマー」:「実況」はゲームにとって有益なのか。ゲーム実況の始まりから現在、そして未来への可能性
「Gamer」:ゲーム実況は業界にとって有益なのか――過去・現在・未来から見るゲーム実況のメリット/デメリットを紹介

⇩2018年CEDEC登壇後に出演した番組⇩
ある意味登壇した講演よりもこっちの方が内容に自信があるかも
「NGC2ラジオ~つうらじ~」

⇩推しのゲーム実況者の卒業イベントを司会進行した時の動画⇩
【スタジオえどふみ年末イベント2018】ふみいち送別会

以上、要点版プロフィールでした。以下詳細版を長々書きます。

<肥満児として生きて>

幼児の頃は自分でも驚くほどに可愛い子どもだったのだが、その可愛さは自らの暴飲暴食という悪癖によって破壊された。小学校の「健康手帳」には「肥満度20%」と記載されており、ああ俺は肥満児なんだと数値の麺でも自覚するに十分な状況だった。
ただ何故か小5の頃だったか跳び箱だけ得意で、その時期だけ局所的に体育の成績が良かった。

<突然の野球少年>

中学に入ると友人とバスケ部入ろうぜという話になっていた。理由は「スラムダンク」だ。肥満児ですら疑いなくバスケ部に入りたがるほど、当時周囲は「スラムダンク」好きばかりで、つまりはバスケも大好きだった。
だが、ということはみんな同じことを考えているわけで、
膨大な人数のバスケ部希望者が集まり、「入部試験」をやるかもという情報が流れた。
諦めた(音速の決断力)
運動経験皆無の肥満児が入部試験を突破できるとは思えなかった。

そこで何故か私は「野球」を選んだ。
選手として活躍することはなかったが、初心者ゆえの生真面目さか、特に柔軟体操をしっかりやっていたら、丁度身体が出来上がっていく良いタイミングだったのだろうか、肥満児だった男が立位体前屈30センチ超え、力士のような「股割り」もできる軟体少年になっていた。当然肥満も解消されていった。これは自己肯定感の薄かった元肥満児としては大きな「成功体験」だった。

<「顔」から形成された人格>

中学でクラス委員に推薦された、
理由は「真面目そうだから」という「見た目」である。父譲りの顔は真面目そうに見えやすく、成績は「中の下」で大して良くなかったにも関わらず教師受けは良かった。後に生徒会もやることになり、高校でも同じパターンだった。
語りだすとキリがないので省くが、このクラス委員・生徒会という「生徒と教師の中間」に位置する立場を経験したことは私の人格形成に大きく影響した。「学校じゃ何も学べない」なんて言う人もいるが、それはきっと生徒会をやったことがないからだろう、と言いたくなるぐらい人生で大事なことは学校で学んだ。
そしてその学びのきっかけは前述の通り我の「見た目」だった。
父よ母よ、こんな顔に生んでくれてありがとう。

<往復3時間の通学、からの>

大学は岐阜だったのだが、2年までは名古屋の実家から片道1時間半かけて通学していた。電車はいいのだが、岐阜駅から大学までのバスが地獄だった。
元から講義は沢山受けるつもりだったが、こんな辛い思いして通うんだから元は取りたいと埋められる日程はすべて埋めた。
結果4年に上った頃には卒業研究だけゼミ室に行けばいいという状況になった。
私以外の実家の人間が石川県に戻ることになって3年からは大学の近くに引っ越したので通学は楽、受けなくちゃいけない授業も皆無、おまけに超大型商業施設ができて遊び場にも困らないという余裕の大学生活になった。

<余裕が生んだ人生の「種」>

今にして思えばこの余裕すぎる大学4年が後に我が人生を変える大きな「種」を生み出していた。
時間が有り余っていた私は大学の電算室に入り浸り、「ブログ」という言葉すら定着していなかった時期にブログを書きまくっていた。途中から利用していたブログサービスのお勧めブログに選ばれ、承認欲求も満たされまくり人生でトップクラスに「楽」で「楽しい」時期だった。
ここで染み付いた「作文趣味」が十数年の時を経て花開くことになるのを、私はまだ知らない。

<戦わない兵士>

就職はしたが、基本的に戦闘力もなければ戦闘意思も弱い兵士なので、案の定行き詰まり、一回メンタルがやられた。だが幸運というか、それでも兵士が欲しかったのか辞める方向にも行かず、割とぬるい扱いでいてくれたまま雇ってくれていた時期があり、それはそれで楽しい時期だった。

無能な癖に多くもらっていた給料は頑張っている後輩へのメシ代に消えた。自分が他人に気を使うのが嫌だったので、せめて後輩が「ああ今日は○○さん(我)がいるので気が楽だ」という「気を使わなくていい先輩」になろうと無能なりに考えて行動していた。果たしてそれが後輩のためになったのかは不明だが。

<世間的に「詰んだ」歳から生まれた人生の転機>

ある程度働いては辞めて空白が生まれ、また働いてという日々が続いた。
気がつけば30代半ばになっており、就職も厳しくなる「人生的に詰んだ歳」になった。

だがその時、我の人生を変える文化に遭遇した。

「ゲーム実況」である。

<ハンドルネーム「ケーシー高峰」>

ハマったゲーム実況者は2組いる。まず今はネットタレントとして活動している「ドグマ風見」さん。彼は視聴者をイジるセンスが素晴らしく、私はそこで「ケーシー高峰」というまんま今は亡き芸人さんの名前をハンドルネームとしてつけられた。これが一時期の私の人生のアイデンティティとなっていた。存在を覚えていてくれる馴染み店と客、みたいなものだ。

当時無職で時間が有り余っていた私と、夜通し長時間放送しまくるドグマさん。
再就職への動きは鈍化し、ひたすら朝まで放送に付き合う日々が続いた(おい)。

<神々の名は、NGC>

そして私の人生を大きく変えた2人に出会う。それが当時コンビでゲーム実況活動をしていた「えどさん”&ふみいち」だった。
彼らは「ニコニコゲーム実況チャンネル」(略称:NGC)というチャンネルで「ビジネスとしてのゲーム実況」という概念を実践していた。無許諾で好き放題やりまくるのが当たり前だったゲーム実況を仕事にしていた。

そんな彼らに可能性を感じた私は謎の使命感に襲われ、「ニコニコ大百科」といういわゆるウィキペディアみたいなサービスで彼らの記事を更新しまくるようになった。するといつの間にか彼らも私の存在を認知するようになり。縁が生まれた。

するとコンビの1人であるふみいちさんが「NGC2」という有志組織を立ち上げた。私は迷わず加入した。

そして驚いた。目標は「東京ゲームショウ出展」だったのだ。

ざっくり構造を書けば「皆で会費を貯め、それを元手に東京ゲームショウのブースを買い、イベントをやる」という感じだった。そこで私は広報セクションという名の新聞部的な立場でウェブ記事を書いたりまとめたりしていた。最終的に東京ゲームショウへの出展も果たせた。

<参考記事(外部リンク)>
NGC2通信 ~TGS特集号 第1回~
【NGC×NGC2】TGS2016特設ページ
NGC2通信~TGSアフターレポート号その2~

<フリーター、パシフィコ横浜に立つ>

NGCの追っかけと化していた私だが、そんな彼らの活動をまとめていたものが「ゲーム実況業界にとって有益な資料」になるのでは?と思い始めていた。

そこまた、ふみいちさんである。氏はその時自費でCEDECに聴講生として参加しており、番組内でその話をしていてCEDECの存在を知った。

するとセッション(講演)を募集していることに気づいた。
募集要項には特に「ゲーム業界人に限る」とは書いてなかった。

もしかして…私でも応募できる?
そう思い、応募した。

採用された。

こうして私は、フリーターの身でありながらパシフィコ横浜の大会場の舞台に立った。
最初に登壇した2018年はまだコロナ禍ではなかったので現地に人が集まっており、何と数百名単位の人が来ていた。

これは講演する部屋がどこかを教えてもらった時に「やたらデカいな」と思い調べたのだが、何とパシフィコ横浜(会議センター)内の単独の部屋としてはメインホールに次ぐ2番目の広さだった。

ちなみにその年、一番広いメインホールに登壇したのが「ゴッドマン」宮本茂さんである。
ただのフリーターが、まさか神に次ぐ広い部屋でゲーム業界人ばかりを相手に講演する事になるとは…人生はわからないものだ。

なおCEDECにはこの2018年、そして2020年から3年連続、そう、今年も登壇が決定しているので、計4回の登壇となる。

相変わらず肩書は「フリーター」のままである。
よくわからない人生だ。

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