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著名人結婚発表での「一般の方」という概念の違和感

今までツイッター等で何度か物申しているが、全くもってリアクションされた事はないので(そもそもお前に知名度が無いという前提は置いといて)、違和感を感じてるのは私だけなのかもしれない。だが、それでもこの違和感を正当化したい自分がいる。

そもそも「一般人」とは何なのか。
検索してみると「特別の地位、身分を持たない人」らしい。

となると
著名人側は「特別な地位、身分」を持っているという事になるのか?

この部分がまずもってしっくりこない。
例えば「芸能人」
今の時代において、全国民が統一して「芸能人=特別な人」という意識なのだろうか。
昔の私なら特別だと思っていたが、
「メディア依存度」がテレビからネットに移行し
私にとって人生の時間を一番費やすタレントがタモリさんから「えどさん”」という社会的知名度は皆無なゲーム実況者に移り変わった人間からすると、もはや芸能人・テレビタレントよりお気に入りのネット配信者の方が特別なのだ。

更に「道理」で言うなら「お相手は一般の方なので公表を控える」というのも道理としておかしい。
言うまでもないだろう、特に近年の外食店テロで大きく悪目立ちしてしまったように、「存在を知らしめたい一般人」はいくらでもいる。

そして今の時代「著名人だからプライベートは全て公開せねばならない」なんて概念が正しいとは思えない。
著名人でも隠したい事は隠していいし
一般人でも公表したいならすればいい

私なりの道理で言えば
「お相手の方は公表を望んでいるのか否か」が重要なのだ

近年に限らず、執拗かつ悪質な一部のメディアに付きまとわれ、ストレスを感じている著名人はそれなりにいると思うのだが、にも関わらずこの「著名人」「一般人」という概念の再構築が一向に行われる事はなく、「お相手は一般の方」と言われ続けている。

メディア構造が変われば、「特別」と「一般」の概念も変わるのだ。

それを痛感したのは今やかなり昔だが「SMAP」の解散時だった。
既にネットメディアに大きくメディア依存度を偏らせていた私は、「仕事比率」が大きくテレビに傾いているタレントに遭遇しなくなった。
結果大きく「認知度」と「思い入れ」が下がったのがジャニーズのタレントだった。

ご存知の方も多いと思うが、ジャニーズはネット通販でCDのジャケ写すら載せない程に肖像権に厳しく、ネットで彼らの動向を追うのはほぼ不可能だった。彼らを嫌いになったわけでもなく、ただネット依存度を高めただけで結果的に「ジャニーズのいないメディア環境」になってしまったのだ。

その結果、相当な反応だった「SMAP解散」という状況に対しても、私は驚くほど「へぇ」な感覚だった。もう彼らのいない人生に慣れてしまっていたからだ。皮肉な話、思い入れ戻ってきたのは解散後に一部メンバーがネットメディアに進出してきてからだった。

という事で、メディア環境の変化は「著名人」という概念の中身まで大きく変えた。
そんな中、「一般の方」という概念はもはや全国民統一的に通用するものではない気がする。ワシからすりゃ、一般の方と言っちゃってるお前も十分一般人レベルの認知と思い入れしかないのだが(辛辣)という気分になってしまう。

でも恐らく続くのだろう、この概念は。メディアだけが都合がいいから使ってるならまだしも、著名人自らこの語彙に違和感を感じてないのだから。
でも私からすれば、それはアナタ、自分で自分の首を絞める概念ですよと私は言いたい。
まぁ届かないだろうけど。

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