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世間に転がる意味不明:新しい職業の創出と旧い職業の消滅(ChatGTPの生む出すもの)

■時代の流れ

ラッダイト運動という言葉をご存じであろうか。1810年代、「産業革命期イギリスの中部・北部の、織物・編物工業地帯に起こった機械破壊運動。産業革命によって生まれた資本制機械工業のため失業の危険にさらされた手工業職人やマニュファクチュア労働者の運動。」(コトバンクより)を指す。

まるでこれを想起させる。

○AIに戦々恐々、米脚本家がスト 雇用喪失を懸念
2023年05月16日

米ハリウッドの脚本家団体が今月、報酬をめぐりストライキを断行した。動画配信大手ネットフリックスやディズニーといった製作スタジオは、将来的に人工知能(AI)に脚本を執筆させる可能性を排除しないとしており、団体側は反発を強めている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=20230516044469a&g=afp

報酬の話をしているのか、就業機会の話をしているのかは微妙ではあるが、AIによるなくなる仕事の話題としては衆目を集める。

しかし、こうした産業構造の変化と就業者の質の変化はいつも起きうる。今ではいなくなった「電話交換手」の復活を述べる人はいないであろう。

仮に、「AIで脚本が作成することができる」なら、それの何が悪いのか私にはわからない。

■真善美

真善美という言葉がある。ものの辞書によると、下記の説明となる。

知性(認識能力)、意志(実践能力)、感性(審美能力)のそれぞれに応ずる超越的対象が真善美である。このうち、知性の対象を真とし、意志の対象を善として併置することは西欧古代、中世の哲学的伝統であった。またギリシアでは、美と善とは合して、「美にして善なるもの」kalokagathonという合成語となり、自然的、社会的、倫理的な卓越性をさすことばであった。

脚本が、こうした真善美の結果からしか得られないのであれば、AIを脅威と考えるのは間違いであろう。むしろ脚本家は、自らの知性と意思(すなわち真と善)を駆使してAIと対話し、感性に優れた作品を生み出さなければならない。

その中には、自らの知性と意思を言語化してChatGTPに入力できるスキルとアウトプットに感性を負荷させる能力が必要となる。

脚本家には今までと異なる能力が求められるかもしれない。既得権益にしがみつくことはやめて、新しいマーケットを創出する方向で進んではどうだろうか。

「あなたも明日から脚本家」をうたった映画でも作っては?

<閑話休題>

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