戦略人事の落とし穴(人が人を評価するという欠陥)
■ユニークには違いない
面白い記事を見た。
○本人と直接上下関係がない第三者が評価、東洋アルミニウムが導入した人事制度のユニークさ
2022年09月29日
東洋アルミニウムは2020年度に始めた「経営プラットフォーム改革プロジェクト(MXプロジェクト)」の一環で、本人と直接上下関係がない「アセッサー」が人事評価に加わる制度を、この7月から導入した。評価の公平性を保ち、従業員の納得度を高める狙い。等級の決定には自己申請が必要となり、「年次で上がる“卒業”方式から、本人が手を挙げる“入学”方式へ」(山本政史常務執行役員)刷新する。
第三者が関わると言うこと。本人が手を挙げるという考え方。これ自体は参考になる。
しかし、いわゆる人事評価という制度の欠陥を解消する物ではない。
■人事評価制度の欠陥
「人事評価」という言葉はいつからあったのだろうか。少なくとも、50年前には、職能資格制度に基づく号俸表があり、どの程度上がるかの評価があった気がする。ほとんどの人が標準の上がり方をするが、どうしても問題がある人物は上がりが遅かった気がする。逆の、他者も認める優秀な人物は格付けが上がっていた。
それほど違和感がなく、納得性も高かったのだと思う。一変したのは、目標管理制度という仕組みが普及しだした頃からだろうか。
もともと「目標管理」は、無目的な漠然とした業務遂行は個々人のしあわせにつながらないし、生きてゆく意義にもつながらない、組織能力の向上にも寄与しないということから、その必要性が言われていた仕組みである。決して、人の格付けのためのものでもないし、元々は Self-Management By Object と言うように、自分自身の管理のための枠組みである。
それが、会社が個人を格付けし、しかも報酬に結びつけるという暴挙に出たのが現在の人事評価の病巣である。
なぜ問題なのか。
(1)不完全情報での判断
個人個人の仕事ぶりを四六時中見張ることもできない。評価をするにしても情報が欠落している。また、期末に評価を行なうと記録の積み重ねではなく記憶で評価することになる。記憶は都合の良い編集がされやすい。現在の行動で過去の行動に対してもバイアスがかかる。正しい情報でもない。
(2)評価する対象が恣意的になる
目標管理制度での運用を見ると、その目標の達成度合いに応じて、SABCDといった格付けを行なう。その際に、目標を数値化することが多い。そのため、会社側から強制的に押しつけられた売上げ目標以外は、自己都合で達成しやすいものを選ぶ傾向にある。
定量的でない場合には、お祈りのような目標になりがちであり、その評価も基準が曖昧になる。
こうしたことは、客観性に欠ける。そのために冒頭のような話が出るのだが、第三者が入ったからといって、情報の欠落や入り口での目標設定の問題が解決できるわけではない。
■契約行為の対象
そもそも、格付けすると言うことは、支払う給与を変更すると言うことだ。達成度合いに応じて、金額を変えると言うのであれば、雇用者と被雇用者の契約内容の変更について合意していなければならない。
勝手に第三者が介入して格付けを替えるというのであれば、その第三者の選定も被雇用者の合意が必要だろう。
どうにも、コンプライアンス上の問題が発生しそうである。
■主観というバイアスを切り捨てる
人が介在する限り不完全になる。と云うことを前提にすべきである。
ではどうするのか。
賃金とは何かを、改めて合意するべきであろう。
私見ではあるが、賃金は下記の二つに分けるべきである。
(1)ベーシックインカム
平たく云えば生活給である。その人が、大きな支障も無く働いているのであれば無条件に支払うべきもので、衣食住に困窮しないレベルでの給与になる。
これには、正規社員、非正規社員で多少の調整が必要であろうし、副業での配慮も必要になる。
(2)契約給与
あらかじめ、会社は彼に何を期待し、その報酬をいくらにするのかを合意し、その評価方法もあらかじめ決めること。その結果において、契約の継続が困難になる場合にはあらかじめ合意すること。いわゆる勝手なリストラや雇い止めを防ぐ必要がある。
さて、上記のような体系にしたときには、経営者側、特に人事部門の能力が相当高くなければ実現できない。逆に言えば、目標管理制度の導入は人事部門の無能力さを際立たせたと言える。
反論して欲しいがどうか?
<閑話休題>
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