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ピースボートの人たちは

本当はみんな、ただ遊んでいたいんだと思う。
この、豊かで美しい、地球の上でさ。

だって、本当に、人生を楽しむことが好きな人たちなんだもん。

飲んで、踊って、しゃべって、笑って、遊んで。
そういう時空間を心の底から楽しんでいたいって、
いっつも思ってるんじゃないかな。

「偽善だ」とか「宗教だ」とかなんとか言われながら、
いろんな活動をしたりするんじゃなくてさ。

だけど、今日も世界のどこかで苦しんでる人がいると思うと、
飲んでても、踊ってても、心のどこかで、そのことを氣にしている。
自分が何もしなければ、この世界は悪くなってくばかりかもと思ったら、
しゃべってても、笑ってても、遊んでても、どこか胸がいたい。

みんなそういう人たちだから、
いつか、それを氣にせずに遊べる世の中にするために、
「めんどくさいけど、自分たちにできることはやってる」んじゃないかな。

もちろん、世界がかんぺきに平和になるまで遊ぶのを我慢する必要はないから、遊びながら、やってるってことなんだろうけどね。


宮沢賢治が言うところの、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
っていう感覚、かなぁ。


私はキリスト教の教育を受けて育ったことも関係しているのか、
世界平和とか、献身的な貢献とか、犠牲的精神とか、
そういう人間であらねばという気持ちが、
幼い頃から身についていたように思う。
 
私がピースボートに惹かれたのは、それが、
単に世界のいろんな国に行けるからとか(まぁそれもあるけど)、
日本中からいろんな人が集まってきていて面白いからとかよりも、
世界平和を目指してるからとか、
そのために何か自分にできることをやらせてもらえそうだから、みたいな、
そういうけっこう真面目〜な理由(ちょっと他力本願w)だったんだよね。
最初は。
 
だからね、ピースボートセンターに行ったら、
きっとそういう、徳の高い人たちが、
「犠牲的な精神」で、「世界平和」に、「献身的な貢献」をして、
毎日真剣な面持ちで、取り組んでいるんだろうなと、
(思うともなく)思っていた。

だけど、初めて訪れたピーセンは、なんかとってもごちゃごちゃしてて、
いろいろとテキトーで、人もざっくりしてて、
「世界平和」とか「献身的な貢献」とか「犠牲的な精神」とかって言葉から私が想像していたイメージとは
全っっっ然、違って見えた(もちろんそれは、私が幼くて、視野が狭くて、未熟だったからそう見えたんだと、後からジワジワわかるのだが)。

あくまでも、わかりやすい例えばだけど、

こんなノリの人たちや↓

画像1

こんなノリの人たちがたくさんいて…↓

画像2

※この2枚は、ピースボートの船上で撮った写真になります😇
 
えっ・・・😀
世界平和って・・・😀
えっ・・・😀
なんでこの人たち、こんなにふざけてるんだろう・・・😥
 
って、最初はけっこう本気で思ったからね🤣
 
その後、ピーセンや船の上で、
たくさんの、本当にたくさんの人と出会って、話して、
一緒に遊んで、
わかったこと。
 
沈痛な面持ちで善きことをしたとしても、続かないこと。
微力にしか思えないことも、続けていけば変化を起こせること。
「真剣」と「楽しい」は両立できること。
遊びながら、誰かを支援したり、お互いに助け合ったりも、できること。
誰かを幸せにしたかったら、まずは自分が幸せであること。
しんどいときこそ、ユーモアを忘れないのが、素敵なオトナ。
人生は、楽しむためにある。

「ピースボートの人たち」は、
ぜんたい幸福になった世界で、
めいっぱい遊びたい人たちなんだと思う。


支援者数2000人突破! ただいま94%!
あと2日。ラストスパート!

https://camp-fire.jp/projects/view/298983
(なぜか画像が表示されない〜ぴえん)

#ピースボート
#peaceboat
#がんばれピースボート
#地球一周
#世界一周

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