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名人戦リーグの個人的な話~チャンスはなかなか来ない~

一局の中で勝てるチャンスというのは実はなかなかない。相手の突然の見落としを加味すればチャンスは増えるわけだが、そういった、明らかにミスだと即断できるものを除いた範囲において局面でいい手を積み重ねて受け無しに追い込めるチャンスは一局に一度もないか、あっても一度くらいという認識だ。このように認識したのは、ソフト検討を深くするようになってからだ。自分では物凄く有利でこれは勝ちになったと思っても、ソフトに読ませると針の穴を通すような精密な受けで潰されてしまう。反対に、これは勝てないだろうと思っている局面から信じられないような手順で寄せられてしまうことも多い。この現象は私にとっては非常に危機的だった。今まで信用していた自分の感覚通りにやっていると、よくわからないまま負けてしまったりドローにされてしまう可能性が高まったということだ。今年のリーグは例年に比べると石数の少ないうちから慎重に時間を使ったように思う。それは、上記のような自分の与り知らぬところで局面の行く末が決まってしまうことへの警戒感によるものだった。全神経を集中させて、来たるチャンスは全て捕らえようという強い意志があった。

あくまで例年の棋譜と比較してであるが、この方針は概ねうまく行った。しかしこの方針を採用したが故に駄目になってしまったものもあり、その代表的な連珠が岡部戦だった。負けるような一局ではなかった。普通に打っていれば少なくともドローにはなっていたはずだった。当時のことを振り返ると、想定以上に構想がうまく刺さったのを感じて、局面では必勝になったらしいことを察知した。しかしリソースを投入すべき局面の判断を誤ってしまい、勝ちの無い場所をひたすら読み続けることになってしまった。良いはずの形勢と、それに対して勝ち筋を見つけられない自分に焦ってしまい、酷い潰れ方をしてしまった。それだけならまだよかったが、急に負けるかどうかにしてしまって、精神的な対応が追い付かなかった。ギリギリを追究しているとこういうことはあるというのは大会前にあらかじめ覚悟は決めてあった。いつもなら大したチャレンジもせずドロー路線を採っていただろうことから、チャレンジをした自分を褒めるという形ですぐに気持ちを切り替えられたのはよかった。

舘戦は、本来研究済みであるはずの局面だったが、まずその記憶から間違っていたのでお粗末だった。研究ではかなり白有利ではあるものの完全な勝ちではないようだった。未だMateを諦めきれない私は、穏便な局面の収め方が視野に入っていたにも関わらず本来であれば負けかねない手順を選択してしまった。本譜は結果的にはそれが功を奏して追い詰めになったが、これを負けていたら精神的にはかなり堪えただろう。どうやら、ギリギリのチャンスを追究しようとしすぎて「ありそうだけどわからずムズムズする精神状態」に対応できなかったように思う。このあたりは一言でいってしまえば経験不足だ。私は普段はこうした微妙な判断を避けるために安定勝ちを志向してきた。しかしそれが通用しなくなってきているというのが現代連珠の要求で、ならば対応していかねばなるまい。神経を尖らせながらも冷静な判断をすることが今後のキーワードになりそうだ。今度の番勝負はもっと鋭く、もっと冷静に打ちたい。

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