宣戦布告

"かっこいい人になる。"


とても漠然としているが、これは私の今年の抱負だ。



かっこいいにも色々ある。

容姿、纏う雰囲気、言動、行動、佇まい、挙げていくとキリがないくらい「かっこいい」とは漠然としていて、正直言って雑な目標だ。



ただこの抱負に至るには明確な理由がある。


去年の、つまり2018年の私はダサすぎたのだ。というか、無様と言うのが正しいのか。とにかく私はダサすぎた。

それに気づいたのは1年もラストスパートをかけ始めた頃のことだ。



「もう好きじゃなくなった」

私は結婚を考えるほど本気で付き合っていた恋人に振られた。前日まで「結婚しよう」だなんて言ってくれていた。

当たり前のように取り乱したし、泣いた。前日まで幸せだったはずで、現実を受け止めきれなかった。

そしてとどめを刺すように別れた直後、私が一番信頼し、恋愛相談もお互いにするような後輩と、彼はいとも簡単に付き合った。

彼と彼女が連絡を取り合っていたことは知っていたが、彼女への信頼もあり黙認していた。こんなことになっていたなんて知らなかった。


付き合おうと言ったのは彼女かららしい。


信じていたツートップを同時に失って私は完全に人間不信になったし、死にたいとすら思った。



はい。もうダサい。

もちろん今思えばの話で、その瞬間はいっぱいいっぱいだったのも分かっている。

ただ私がここまで取り乱したのも、現実を受け止めきれなかったことも、総じて彼に依存していて彼が当たり前の存在になっていたからだ。

私はもう彼のいない世界の生き方を忘れていた。

それが無様でダサかった。

彼と別れて彼中心に回っていた世界が自分中心になった。そんな世界で生きてみると何もかもが新鮮で色鮮やかに写った。彼がいないと生きられないなんて嘘で、彼がいなくたって私は生きられることに気づいてしまった。


そして同時に、すました顔をしてひとりで生きている自分を

「かっこいいじゃん。」

なんて思ったのだ。

その感情がなんだか心地よかった。



別に「恋人がいないと生きられない」人生が悪いとは言わない。それもまたそれぞれに適正というものがあるのだろう。ただ私にはうまくいかなかった。それだけだ。


まだ誰かに依存したいと思うし、それが楽だと知っている。能動的に生きるより受動的に生きるのが楽だと知っている。けれどそれでは私はダサいままだ。そんな自分のことを私はきっと好きになれない。

別にナルシシストになりたいわけじゃない。

ただある程度自分が存在することを許してあげられないと、自分を生かすのも殺すのも結局は自分なのである。



2019年を振り返るとき、そこにいる私に

「かっこよかったじゃん。」

って笑ってもらわなければならない。




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