45歳(女)、脳梗塞になりました その1
このnoteに、まさか脳梗塞というワードが登場することになろうとは。
まだ自分でも現実味がなくて、こんなことを書いていいのかしら(まだ知らせていない友達だっているのに)・・・と思うのですが、あったこと、思ったことを残しておくのが大事な気がするので、ええいと書き始めます。
3月26日の朝、急に右手と右脚に力が入らなくなりました。
時間は、6時45分ごろ。確か、6時20分くらいに目が覚めて、しばらく布団の中でツイッターをやっていました。
発作を起こす10分くらい前に書いたツイート。全然いつも通り(語ってる)。
布団から出て、台所に立ち、食パンをヘルシオにセットして焼いている途中、その発作は起こりました。
ちょうど夫が起きてきて、台所を抜けてトイレに行こうとした時には、まだ普通で。いつも通りのふざけた会話を少し。その後、お手洗いから戻ってきた夫に「(右手、右脚に力が入らない)なんかおかしい」と真面目な口調で言ったことを覚えています。(倒れ込んだりしたわけではなく、目の前にあった椅子の背もたれに左手で捕まり立っていました)
すぐに座らせてもらい、お水を飲ませてもらって。すぐに症状は治って、いつも通り朝食を摂り始めたのですが、何か不安で。
食べ終わって、夫とリビングのソファに座り、症状のことや診てもらえる病院を検索しました。
この日は、朝9時半から自宅教室での授業が入っていて。今まで自分の体調で休んだ記憶はなく、しかも当日だったこともあり、一瞬躊躇したのですが・・・。これは授業してたらいけないやつだと直感で思い、レッスンをキャンセルして病院に行くことに決めました。(決めたのが7時15分ごろ。生徒さんに電話したのが7時48分でした。)
夫はその日、早く出勤しなければいけなくて、8時頃には、もう家を出ていたと思います。隣に住んでいる私の母に、このような状況になっていること(注・6時45分ごろの発作以降は、全く問題なく体も動いています)、病院に行くことを告げ、ついてきてもらうことにしました。
(母は運転免許を持っていないので、すぐ「タクシーで行こう」と強く言ってくれたのですが、タクシーを呼んだり、待っていてもらったりの不便さを思って、私が自分で運転して行きたいと言いました。それは、本当はすごく危険な行動だったと思うのですが・・・。ただ、それもあってで、その後の行動がスムーズに進んだという一面もあります。)
電車でいうと、2駅ほど先にある個人病院に入ったのが、9時ちょっと前。
症状を説明しつつも、朝のその発作以降、全く普通に動けているので、なんだか病院にいるのが申し訳ないような気持ちもありました。(気のせいで人騒がせな・・・みたいな)
問診を受け、CTを撮ってもらった結果も、特に異常はなくて。
「念の為、〇〇(地域で一番大きい病院)で診てもらう?紹介状を書いてあげるから」と言われ、そうすることにしました。
(今思えば、金曜の午前だから、それができたのだと思います。午前にレッスンをして、それからこの病院にかかっていたのでは、遅かった・・・)
自分の運転で、その大きな病院に着いたのが、10時頃。普段からものすごく混んでいる病院で、初診受付をしてもらっている間はしばらく待ちましたが、脳神経内科に行ってからは、すぐに診察室に呼ばれ、問診を少々。その後、MRIを含む検査をいくつか受けました。
MRIを待つこと、10分か15分。「〇〇(病院名)やし、時間がかかるやろうな」と、母と話し、母には先に自宅に戻っておいてもらうことにしました。この時点では、私も母も全然危機感がなくて、「下の子のお昼ご飯が心配やし、帰るわ」くらいののんびりとしたものでした。(話してた内容からして、これが11時前くらい)
全ての検査を終え、診療科の前に戻ると、あっという間に診察室に呼ばれました。MRIの画像を見ながら、先生は優しく、ハキハキと説明してくださり・・・。
聞いている途中は、「あ、ほんとに病気だったんだな」という、なぜかちょっとホッとした気持ちもありました。(人騒がせじゃなかった)そう安心したのも束の間、先生は穏やかに、「1週間ほど入院して様子を見ましょう」と、明るくおっしゃいました。
「ん。ええええええ!?!?」
それが、今でもまだ現実味がない、夢のような8日間=入院生活のスタートの瞬間でした。
(その2に続きます)
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