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数を数えるべきもの、そうではないもの

正直、絵の鑑賞の仕方はよく分かっていない。
数をこなせば分かっていくかと、行った回数を数えていたこともあったけれど…。 数をこなす方にばかり意識が向いてた。

今回は、友人が誘ってくれて、二度目のゴッホ展。
初めてじゃないということで、なんだか、ゴッホへの距離を近くに感じられた。

そして、一度目には知らなかったことを、友人に教えてもらった。
ゴッホがすごく若くして亡くなっていたこと。入院していたasylum の近くを描いた絵もあった。

表現することへの憧れ

その友人は、素敵な写真を撮る。

写真。カメラ。
上手くなりたいと何度も思うも、ちょっと撮ってはすぐに挫折。
挫折という言葉に申し訳ないほど・・・。始めてさえいないかも。

今回もまた、軽い気持ちで「どうしたら上手くなれる?」と聞く。一番やっちゃいけないやつだ。でも彼女は優しい。

「好きなものを撮ること」
「100枚撮り続けること」

をアドバイスしてくれた。

100枚。そういえば、以前にタグをつけてInstagramに写真を投稿していたことがある。
#my100happydays  そういや50枚くらいで止まっているな・・・。

なぜ止まってしまったかには少し心当たりが。楽しい日々、幸せに感じたことを数で数えているうちに、ただの数字の羅列に思えて。

ただの数にしちゃいけないもの、そういえば他にもあるな・・・って。

読んだ本の数。さっきの美術館の回数もそう。そして、このタグも。
数を増やすことが目的となって、数しか見ないようになったら、だめ。

でも、彼女が勧めてくれたことは、やってみたい。
数で数えたその先に、新たな「世界の見え方」が待っている気がする。
やろう。撮ってみよう。
100枚で、何度も繰り返した初心者ループを抜け出せるかは分からないけれど。
こういうことこそ、数字が増えていく勢いに乗せて、前に進んでいくべきだと思う。


私だけのエピソードを残していこう

話は、ゴッホ展に戻って。

もう一度、asylumへの絵を見たら、友人が教えてくれたエピソードを思い出すと思う。

今まで、絵を見ても、頭の中を素通りしてしまっていたものが、急にエピソードを持ったものとして、特別に感じられる。ゴッホの生前のエピソードもだけれど、私がその友人に教えてもらったという、そのこと自体がエピソードに。

「絵を見ることとは」は一生かかっても分からないかも知れないけれど。
ただ数字を数えていただけとは違う、大切な何かが残ったように思う。

数字では数えられないもの。
こういう思いを残していこう。今日ここに書けてよかった。

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