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ヒップホップ、文房具、デザイン。“心地よさ”を追いかけ続けた四半世紀:ishihara ryotaさん

ishihara ryotaさん(@issiharahara)に、コンテンツとの関わりについて、インタビューしました。 

ヒップホップにどっぷりの学生時代、きっかけはファンモンとワードストア

ーー現在24歳、大学卒業して2年目ということですが、学生時代はどんなことに興味がありましたか?

中高生のころから、部活でサッカーをするかたわら、音楽にはまりライブハウスに通うようになりました。

ーーそれは、演奏するほうですか?それともライブなどを鑑賞するほう?

聞くほうですね。地元は埼玉の久喜なんですが、部活のオフとライブが重なった日には、渋谷のクラブに行ってました。

特に好きだったアーティストは、WHITE JAMと、もう解散してしまいましたがワードストア 、それからワードストアのボーカルだったNOAさんが結成した#ノアピです。彼らのような、ヒップホップに夢中な学生でした。

ーーヒップホップを聞くようになったのはなぜですか?

中学3年生のころ、まずファンモン(FUNKY MONKEY BABYS)を好きになったんですよ。もともと言葉遊びが好きだったので、彼らが頭韻を踏みまくるのが気持ち良くて。その気持ち良さを深掘りしていった結果、ヒップホップを聞くようになっていきました。

それから、ライブハウスに行くようになったきっかけはワードストアです。音楽好きな友達に教えてもらったBirthのアルバムでフィーチャリングをしていたNOAの声に衝撃を受けました。ひたすら心に響く歌声で、ほかの曲も聞いてみると、トーンの落ち方を曲によって変えていて、歌がうますぎる。

高1のころ、ワードストアのライブを聞きに渋谷のライブハウスに行ってからは、少なくとも2ヶ月に1回、多い時は週1で足を運ぶようになりました。部活が早く終わる日には私服も持参して、練習が終わり次第ライブハウスに直行してましたよ(笑)。

ーーヒップホップにどっぷりだったんですね。その後はどうですか?大学に行ってからも音楽の好みは変わりませんでしたか?

高2の終わりくらいからは、Creepy NutsやDOTAMA、韻踏合組合にも手を広げ始めました。

ーー『フリースタイルダンジョン』にも出演された、有名なラッパーの方々ですね。どんな点に魅力を感じられたんですか?

僕にとってアーティストって、アーティストって“ちゃんとしている”イメージだったんですよ。ヒップホップでも、HilcrhymeのTOKUさんのような。

でも、韻踏(韻踏合組合)なんか特に、そうしたアーティストのイメージとはかけ離れた“アホさ”がすごく出てるんですよね(笑)。それでも聞いてて、熱いし、面白いし、めちゃくちゃ気持ちいい。大学では同じくヒップホップ好きの友達もできたので、あんなノリで韻を踏みあって遊んでました。

仕事にヒップホップが生きる瞬間

ーーヒップホップというジャンルは変えず、もっといろいろな曲を聞くようになったんですね。社会人になった今もそうですか?

仕事が終わったら、すぐにGoogle Homeでヒップホップをかけます。仕事でヒリヒリしていた気分を、くだらなくて馬鹿馬鹿しく変えてくれるんです。

ーー仕事モードを強制的にオフにするスイッチ、なんですね。

おっしゃる通りですが、その一方で、実は仕事にもヒップホップは生きています。実際、デザインの仕事で必要な創造力は、HIPHOPがつちかってくれたような気がします。

ーーと言いますと?

HIPHOPはとてもカスタマイズ性が高い音楽です。ビートに対して曲にしてもよし、BGMにしてもよし、そのビートに乗ってバトルをしてもよし。即興で、音楽が創り出されていきます。僕はそこに創造性を感じているんです。

それから、僕は個人の仕事でプロダクトの方向性を決めるワークショップを開くこともあるんですが、最初の30秒くらいヒップホップを流すことがあります。

ーーワークショップでヒップホップ、しかもそんな短い時間。どんな意味があるんでしょうか?

プロダクトの機能を考えるとき、特に機能の名前を付けるタイミングでは、みんなよくありがちな機能にとらわれがちなんですよね。実際にあるものや、実現可能性から機能を連想してしまう。

でも、たとえばヒップホップを流した上で、会社名で韻踏んだネーミングを僕が出してみて、「これくらい振り切っていいんですよ」と話すと、実現可能性から考えてしまう“壁”が取り払われるんです。

言葉遊びをする内に、ワークショップの仲間と打ち解けていきますし、今まで言語化できていなかった、ピタッとハマるパンチライン的な言葉が生まれることもあります。

デザインの原点は文房具、転機は直島

ーー少し話は変わるんですが、ishiharaさんは、大学でデザインを学び、現在の職種に就かれたそうですね。高校のころ、なぜこの進路を?

きっかけは、僕が文房具集めにはまり、文房具との関わり方を考えていたことです。

ーー文房具?

もともと書道をやっていたからかもしれませんが、どんな文房具が、使う人や使う目的にあっているか、中高ではずっと考えていました。たとえば、国語の授業と数学の授業で、使うべきペンは違うと思っているんですよ。

ーーそんな観点で、ペンについて考えたことはありませんでした……!

高校3年の春、進路選択のとき、将来何をしたいのか考えたら、その文房具しかありませんでした。ほかにやりたいことはなかったんです。それで、千葉にある大学の、デザイン系の学部に行くことにしました。

その後、大学の講義や研究室でデザインを学ぶことになるのですが、どちらかというと私は実社会に学びを求めました。2年の後半からは、いくつかの企業でデザイナーとして長期インターンシップをさせてもらうようになったのです。

最初はUX系のフリーランスのチームに所属し、次は動画制作会社で唯一のデザイナーとして。それから、卒業前の数ヶ月は、ある企業の新規事業チーム内でUXデザイナーをさせてもらいました。

ーー学生のころから、そこまで実践の機会を求めていたんですね!でもその分、大学での研究がおろそかにはなりませんでしたか?

教授が僕のやりたい方向を理解してくれている方で。卒研も「これ作れば卒業できるから!」と提示してくれました。

……そう言えば今思い出したんですが、その教授、瀬戸内海にある直島という島を教えてくれたんですよ。

「直島はいいぞ。行けばわかる」と(笑)。それで、大学2年の終わり、実際に足を運んでみました。直島での体験が、僕がデザインをする上での転機となった気がします。

ーーどんな体験をされたのでしょうか?

直島は、安藤忠雄さんや草間弥生さんら芸術家・建築家の作品が島中にある、アートの島です。

その中でも僕が特に印象的だったのは、安藤忠雄さんが設計した地中美術館です。名前通り、建物のほとんどが地下に埋まっている美術館で、外から見た印象と中に入って感じる印象がまったく異なります。

その外観と内観のギャップを自分の全身で……建築やアートを初めて“身体的体験”として感じたんです。

その時です。今感じた体験の心地よさは言語化して残さなければならない、と思ったのは。以降、自分が好きだと思った体験やデザインは、極力言語化することを意識するようになり、それがスキルアップにもつながったと思います。

輝ける場所を探して。『BECK』のコユキと、自身のこれまで

ーーこれまで、音楽やデザインの話を中心に聞いてきました。ところで、ishiharaさんがフィクションで一番好きな作品はありますか?

思い出深く大好きな作品が、『BECK』です。初めて観たのは小学生のころ、映画館で。それから数年後、TSUTAYAでDVDを見つけて買いました。最初に見たときの心地よさがずっと残っていたので嬉しかったです。その後は一気にハマって、漫画を全巻買いそろえました。

ーー映画がきっかけだったんですね。『BECK』の何がishiharaさんの心を打ったのでしょうか?

主人公のコユキが、学校の環境が合わないところから、自分が好きなものを見つけてハマっていく過程がすごく気持ち良かったんだと思います。

特に好きなのは、コユキがダイブリ(The Dying Breed※作中で主人公たちの目標となる、伝説的バンド)の曲を釣り堀で口ずさむシーン。その歌声に才能を見出して、(ヒロインの)真帆が目を見開く表情がとても印象的で。“スターが生まれる瞬間”ってこんな感じなんだろうな、と。ここから何かが始まる気がしました。

ーーその良さを誰かに伝えるとしたら、どう伝えますか?

『BECK』は、自分の才能を輝かせたいと思っている人に読んでほしい、観てほしいと思います。才能があっても、環境が合ってなければダメだということ。それで今、くすぶっている人もいるかもしれません。コユキは、音楽という輝ける場所を見つけたんです。

ーーishiharaさん自身は、今自分が輝ける環境にいると思いますか?

僕はずっと好きなこと、得意なことしかやって来ていないです(笑)。音楽にせよ、デザインにせよ。逆に合わないと、見切ってやめるのも早いです。

そういえば親に聞いた話ですが、幼稚園に通い出した時、「どうやったら幼稚園をやめられるの?」と先生に言って困らせていたそうですよ(笑)。

<了>

取材協力:ishihara ryotaさん(@issiharahara)さん

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