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【似合う・好き・なりたい】は【依存・自立・相互依存】かも

こんにちは、のぞみるきです。

自分の「似合う・好き・なりたい」はなんだろうと考えるうちに、これってもしかして心理学でいう「自立と依存」の話かもしれないと思いました。今日はそんな気づき/アイデアについてお話します。

また、「似合う・好き・なりたい」とは自問自答ファッションさんの記事から引用したものです。とってもわかりやすく&読みやすい記事なので、ファッションにお悩みのある方はぜひ読んでみてください!

心の成長段階

私が心理学で好きなワードは、「自立と依存」そして「相互依存」です。

前者ふたつは日常でもよく聞く言葉ですが、「相互依存」はあまり聞きなれないものですね。簡単に説明すると、「自立しあったもの同士が、助け合ったり共有できる状態」を相互依存と言います。

といっても私も体型的に学んだことがある人間じゃないので、興味のある方はカウンセラーさんなどプロの記事など読んでみてください。心のプロのお話、おもしろいです!

参考記事:
共依存と相互依存の違い。|根本裕幸
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/247
自立の先に待っている『相互依存』という関係性を育むために|近藤 あきとし
https://www.counselingservice.jp/lecture/29926/

また、「依存」って聞くとなんとなく悪いことのようですが、心理学においてはいいわるいはなく、「心の成長段階のひとつ」という認識です。

たとえば、赤ちゃんは他人に頼らないと生きていけません。これは依存期にあたり、人として絶対に避けられないステージです。どんな偉い人も、かつては他人にオムツを変えてもらう時代があったんですよ。

だけどずっと依存ではいられなくて、いずれ周囲から「自分でやってみな」と促されるようになります。大切なのはこの時に、自立するタイミングと理解して、一人でできることを増やしていくことです。(ここで抵抗すると、本人も周りもしんどくなります)

そして自立も大方こなせるようになると、今度は「自立してるけど頼ることもできる」状態を目指す段階になります。自立した同士で、必要に応じて支え合える状態ですね。これが相互依存期です。

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この「依存→自立→相互依存」は心の成長プロセスとして誰もが通る道だし、心だけでなく仕事も恋愛も、似たような経路をたどると言われています。

自立と依存

「心の成長プロセスって、ファッションにおいても同じでは?」というのが今回の考察です。その検証をするため、「似合う・なりたい・好き」を、それぞれ「自立・依存・相互依存」に当てはめてみましょう。

「似合う」は外から見て判断されることなので、似合うにファッションを寄せることは「受動的」です。だから状態としては[依存]なのかなと思います。

だけど受動だけでは窮屈なので、今度は積極的に「なりたい」外見を選んでいきます。その姿勢のかっこよさはまさに[自立]という感じがします。

だけど自立って戦士に近い状態ですから、元気な時はいいけど、エネルギーが尽きると「あれ、私なにやってるんだろう…」と虚しくなっちゃったりします。というか、私はそうでした。「なりたい」に寄せすぎて、自分を見失ってしまったのですね。

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なんとなくしんどいなとか、なんだか窮屈だなと感じたら、今までのやり方が合わなくなっている証拠です。今までを手放して、新しい方法に挑戦すべきタイミングが自分にも訪れたようでした。次に私は何をすればいいんだろう。どう成長すれば、相互依存のような落ちついた状態になれるのだろうと考えました。

「似合う」から「なりたい」へ

私の場合、ファッションは「似合う」から→「なりたい」を選ぶことが初めのステップでした。「定型の女子スタイル」から「中性的に“なりたい”」を選択しました。

無難なレディースを着ていたときよりも、メンズやユニセックスを着ている方が戦闘力は高まるので、変な人に絡まれたり、なめられたりすることが減りました。自分の「拘り」も伝わりやすくなって、周りが優しく接してくれるようになった気がします。「なりたい」の手応えはすぐに感じられました。

だから調子にのって、もっと「なりたい」を追求しようと思いました。[自立の自立]ですね。たとえば私は絵描きなので、アーティストらしい個性的な面を打ち出せば、説得力が出て評価をもらえると計りました。

「アーティストらしく個性的になりたい!」

この願いは、いくらかは達成できたと思います。個性のあるファッションは、私に自信を与えてくれました。また、「目立つ格好してるんだから、中身も追いつかなきゃ!」と洋服が背中を押してくれた部分もあります。洋服って、すごいです。

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効果は得られたけど、自分のファッションに100点はあげられませんでした。個性はあるけどどこか中途半端というか、なんだか華やかさが足りない気がしたのです。特に、メイクがうまくできません。メイクで「なりたい」に近づこうとしても、失敗するか、あるいは「どんな風になりたいかわからない」とぼやけてしまうのでした。

「メイクができた方がファッションのクオリティは上がるし、そうすればより褒められるだろうし、できるようになった方がいいのに何故できないんだろう…」

思考が他人軸になってるのも気づかず、鏡の前でジメジメと悩みました。そんなことを何ヶ月か繰り返し、ある日よく眠れた朝に、ふと思いつきました。

「たとえば、他人からの期待とか、どう評価されたいかとか全く気にしなければ、自分はどんな格好をするのだろう…。

神さまからヒントが送られてきたみたいな、我ながら冴えた思いつきだったと思います。他人の目を気にし過ぎてるから、辛くなってるのだと気づいたのですね。

私はもう一度、「好き」に立ち返ることにしました。

パーフェクトな好き

私の「好き」を見つめていくと、すぐに答えが出ました。私の「好き」は、「素朴で洗練された」ファッションです。

たとえば「好き」アンテナ全開にして、Pinterestで気になる写真を保存していくと、下のような集まりになります。

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シンプルですねぇ…。

一貫してパンツスタイルなのは、「なりたい」の名残が強いのかもしれません。また、ワイドパンツは骨格ナチュラルの自分に「似合う」形でもありました。

そう、今までも「好きなもの」はあったし、好きに対しては感覚が鋭い方だと自負していました。そもそも「似合う」に専念する前、10代の頃は「好き」一辺倒で洋服を選んでいたのです。

だけど「似合う」「なりたい」に専念した時期を経て、それから選ぶ「好き」は、前者も統合したパーフェクト感ある「好き」でした。独りよがりな好きじゃない、他人も尊重した好きを選べるようになったのだと思います。

まとめ

なりたいヴィジョンがあるって、素晴らしいことだと思います。私は「なりたい」「こんな風に見られたい」を意識してから、ファッションがすごく楽しくなったし、ファッションが好きな人って自然にここを意識できているから好きなんだろうなと思います。

だけどその「なりたい」が、「自分以外の何者かになりたい」にすり替わってしまうと、辛くなってしまうのですよね。結局は自分を否定しているわけですから…。それが「なりたい」の落とし穴だなぁと思いました。

でも自己否定って、人間の基本スペックというか、生きてれば自然と作動してしまう能力だと思うんです。私たちは自己否定側にやや傾斜のかかった道を歩いていて(これは元々の気質とか、育った環境で変わるのもかもしれません)、だからこそ意識して自己肯定を選んでいかなくちゃいけない。

「何者かじゃなくて、私は私になりたい」

そう思うためには、「好き」を真ん中に置いておくことが大切なんだと、今回の経緯を経て気がつきました。「好き」には「自分」がいっぱい詰まってるようです。

おまけ

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洋服につられてか、描く絵も自由になってきました。写真は散歩中に見つけた猫と干し竿の絵、そして実際のモデルです。

生きる糧にします