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偏頭痛

視界にプランクトンみたいなものが見える。目の前の風景に重なって、上から下に流れてくプランクトン。蟲師に出てくる虫のようにも見えた。
子ども時からときどき見える彼らはなんなんだろう。今もその正体はわからないけど、ひとつ言えるのは頭痛の前によく見かけるということ。つまり、彼らは頭痛の前兆だった。

プランクトンを見た翌日の深夜2時、目の奥を握り潰されるような痛みで目が覚める。痛みに耐えられず、同居人を起こした。夕方に一度、寝る前に再度、市販薬を飲んだのに効いてないらしい。暗闇の中、時々視界を確認しては、またぎゅっと目をつぶる。お腹の不快感もつよかったから、腰や背中をトントンと叩いてもらった。

日が出てからも薬は効かず、何度か嘔吐した。口にしたりんごとポカリが消化されてない。コタツに移って、下半身を温めていると少し症状が和らいだ。普段は長くとも6時間くらいで痛みがひくから、薬が効かなくても耐えれば治ると思ってたけど、今回はだめみたい。診察時間はもう終わっていて、救急外来に電話したら「救急じゃないから近くのクリニックで診てもらって」と言われた。哀しい。

義父(同居人の父)も同じ偏頭痛持ちだった。今は新薬でだいぶ緩和されたようだが、それまでは重い症状に苦しんでいた。コタツで休みながら、気を逸らしたくて同居人に義父の話を尋ねる。同居人は、はじめはそもそも頭痛の症状だとわからず家族も施し用がなかったことや、その状態が何年もつづいたことを話してくれた。この痛みを何年も耐えてきたのかと想像したら、あまりに哀しくなって泣いた。 

その義父から、余っていた病院の薬を分けてもらった(本当はダメだと思うけど)。はじめは吐いてしまったが、二回目のが効いて、ゆっくり眠れた。
なんとなく思うけど、身近にいる偏頭痛持ちの人は、自虐的な人が多い気がする。他人のせいにできず、全て自分の問題にしてしまう人たち。わからんけど。

そのあと回復したと油断してたら再発したりして、出先の車中でうめいたり吐いたり、同居人と二人なかなかのダメージを喰らったけど、まぁなんとか治った。

眼差しについて

体調がわるい時、特に頭痛の時には、魂を身体に置いておくのが難しいように感じる。痛みで自律神経が乱れるように(それで嘔吐してしまう)、魂も「こんな身体いやだ」と遠くに離れたがる。(ここでいう魂とは私がなんとなく捉えてる存在なので、みんなも適当に何かにあてはめて考えてもらえたら嬉しい。)

魂と身体が分離していく感覚は、とてつもない寂しさを感じることなので、私は同居人にすがった。同居人は医療従事者でもないし、できることがないとオロオロしてたけど、心配そうに見つめるその眼差しを見るだけで我に返るんだった。痛みに酔って、自分を見失ってる状態から、「心配そうな眼差し」を通して少し客観的になる。そうすると不思議だけど少し痛みも和らいだ。

子どもが泣くのも、まだ魂が不安定だからかもしれない。どこにいるのかわからなくて、大人にすがるしかなくて、優しい眼差しを待ってるのかもしれない。昔、児童館で働いてた時のことを思い返しながら、そんなことを思った。

眼差しというのは、愛も嘘も伝わってしまう。

見てる

生きる糧にします