冥土の土産に再デビュー

父親が変な人で物心ついた頃からずっと格闘技をやらされていた。父方の一族が格闘一家でボクシングなどで国体優勝するくらいのメンツは揃っていた。ぼくは体が大きかったので、大物ルーキーみたいに思われていたらしく、空手、日本拳法、合気道など一通りのものは習った、いやさせられた。そのおかげで今でも球技が全然できない。体育の授業ではみんなに馬鹿にされたので随分恨んだものだ。野球のバットの持ち方すら知らなかったからね。

16くらいには通っていた道場で師範代みたいなことをやっていた。思えばこの頃が自分の強さに対する信仰がピークだった。その頃は昭和時代なので、まだまだ強さが正義みたいな雰囲気があり、ぼくの育った田舎でも中学生くらいになるとヤンキーになる子多く、彼らはいつも武勇伝を話していた。中学生くらいだと隣町のナンタラを倒したとか、そんなものだが、高校生くらいの頃にはどんどん話が大きくなっていって「昨日は15人倒した」だの言っている奴らもいた。断言できるけど一人で15人を一度に相手にして勝てる人間は世界中のどこにもいない。彼らの話は、武器を持った相手を大体一発で倒すのだが興奮した人間は99%以上、一発では倒れないし、素手で殴ったら拳が割れる。

その頃、ぼくは普段は毎朝10km走る、その後基本の稽古(シャドーなど)をみっちりやって筋トレを行う。家が建材屋なので倉庫の鉄骨で懸垂したりロープを登ったり、トラックの古いタイヤを持ち上げたりとかなり恵まれた環境だった。手伝えってことでセメント(1袋40kgを200−300袋)や鉄筋(1束60kg)を運ばされたり、木曜と日曜には道場に行って特に木曜は黒帯会というのがあり、大人に混じって素手でなんでもありのルールでガンガン組み手をやっていた。目つきも金的もありで、唯一噛みつきと耳削ぎだけは無しにしていた。会員は自衛隊のレンジャー上がりとか機動隊とか裏稼業の人、と言った感じで、なのでそこらのヤンキーの子たちの自慢話?は微笑ましいなぁと思って聞いていた。

一方で通っていた高校が野球は甲子園、ラグビーは花園、と全国クラスの猛者がゴロゴロいたので彼らは本気ですごかった。特にラグビー部はフォワードで高校ジャパンなんてやつになるとそこら辺の格闘家より強いんじゃないかと思う。ただ、そのくらいならまだ勝つまでのシミュレーションができた(気がする)。

その後、大学以降で数回プロのキックボクシングのリングに上がる経験ができた(ウエルター級)。本当はボクシングの方をやりたかったんだけど目をやっちゃっててライセンスが取れなかったのだ。確かプロの試験はサンドバックとシャドーを1ラウンドやって筆記試験、そこからスパーリングだったと思う。ここで大きく挫折をした。正直、自分は強い方だと思っていた。事実、日本人相手ならそこそこいけると思ったけれど、外人、特に黒人はもう本当にものが違った。

技術があるとかないじゃなくて生き物として強い。同じ体重のはずなのに密度が全く違う。タイヤをぶん殴ってるみたいな感触がするし、力が体の中に通る感覚がしない。こりゃとても勝てないわとそこでグローブを置いた。大体その頃のファイトマネーは確か5000円だった。さらにチケットを売るノルマまで課せられる。売れないアイドルやモデルが事務所に登録すると宣伝材料費やなんやらでお金を逆に取られるのと同じ構図だ。儲かんないし痛いし、なんでこんなことやってんだろ、と思ってしまった。

ぼくのアイコンではチャンピオンベルトを持っているが、これはK-1系のフランスチャンピオンであるパコム・アッシ氏のジムで撮影したものだ。軽くミット打ちをさせてもらったけれどもパコム氏は185cmで95kgくらいかな、ジュニアヘビーくらいの体格だ。途中間違えて蹴りが彼に入ってしまったのだが、平然としていた。現役でないとはいえあれだけ鍛えた蹴りだ、しかし蹴った足の方が痛い。

それが5年前。やっぱり自分は弱かったけれど、そこからまた心のずっと奥にしまっていた感情が少し目を覚ましたのだと思う。体はさらに衰え、あちこち関節は痛いし、足は90度も曲がらない。それでも、できれば2年以外にもう一度リングに上がってみたい。もう一度だけでいい。

すでにトレーニングは少しづつ再開した。次にこの件での報告はどんな内容になっているか。

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